異変が訪れるのは突然で


side−Uriel

「たっだいま〜」
実力がつき、名がそれなりに広まってくるとソロやコンビで依頼を回される事が多々ある。そういうのは大体『ご指名』か『他の連中ではどうにもならないor やりたがらない厄介事』がほとんどだ。報酬があまりにも少なく、且つ店主が内容を鑑みた場合は店側からの補填もあるらしいが俺は見た事がない。この『古竜 の息吹亭』のそういうケースが極端に少ないのかは定かじゃないし、正直興味もないし。
結論から言って、俺はベルフェスと一緒に後者のケースの依頼を処理しろと言われた。『うちのシンフォニーエちゃんを探して欲しいザマス!』…なんて言う典型的な困ったちゃん依頼を終え、俺とベルフェスはようやく我が家に等しい宿へと帰還できた訳だ。
「おや、二人共おかえりなさい」
聞き慣れた声が本来しない所から呼びかけられた。
「あれ、アレクシエル…どうしてカウンターの中に?」
ベルフェスが不思議そうな声を出す。つられてそちらへ顔を向けると言葉通り、アレクシエルが店のカウンター内にいる。…既にこの時点で嫌な予感がした。
「お前、何してんだ?」
「紅茶を頂きたく思いまして、こうして準備をしているのです」
そんなに上品な宿じゃないが紅茶くらいはメニューにも存在している。注文すれば出てくるはずである、…注文を受ける人間がいればの話だけどな。
「いつもは注文しなかったかい?」
「ええ、普段ならばそうしているのですけど…しかし帰ってきたのが貴方がたで助かりましたよ」
「嫌な予感しかしねぇ」
「あはは、やはりですか」
俺が顔を引き攣らせるとアレクシエルはやれやれと肩を竦め、苦笑していた。
「まあ簡単に申しますと、親父さんに数日間宿を頼まれまして…娘さんもいらっしゃりませんし、私一人では限界だなぁと」
詳細を聞くと、どうやら親父さんは急な用事で宿を留守にする事になったらしい。
丁度その場に居合わせたアレクシエルが引き受けたという流れなんだそうだ。
「・・・あれ? でもさ、親父さんも娘さんもいないんじゃ・・・」
「そう、そこなんですよ」
この宿は基本的に親父さんと娘さんの二人で切り盛りしている。少数精鋭だ。
稼ぎ時ではそれなりに客足の入るこの宿では、いくら宿の常連とはいえ冒険者に任せるのは如何なものだろうか。
「親父さん曰く、皆で力を合わせて頑張って欲しいと」
「力を合わせて・・・って、え、皆で?」
「はい、皆で、です」
「そ、それって・・・パーティ全員で乗り切れって意味なの?」
「その通りです」
我がパーティの参謀殿はきっぱりと断言した。清清しいまでに。
「何故引き受けた・・・」
その言葉しか出て来ない。じわじわと頭が痛くなってきた気がしなくもない。
「我々も親父さんには色々と世話になっているではないですか、ですからその感謝の意を込めて引き受けようかと」
「すごく真っ当な理由だよ兄さん!」
「うわぁい・・・」
この爽やかな笑顔を見ていると本当にこいつが人外なのかと疑念を持たざるを得ない。血を吸わない吸血鬼ってだけでもよくわからん存在だというのに、加えてこの人間らしさ。
アポカリプスの方がまだ人との相違点が分かりやすいっつの。
「んで、肝心の他の連中は?」
「まだ姿は見てませんね、貴方がたを最初に見たメンバーな位ですし」
こんな時に限ってこれか・・・。
早く誰か戻って来るといいんだが。
「僕も手伝うって事なんだよね。な、な何すればいいの?」
「ベルフェスさんは基本的にウリエルの手伝いをして頂く方がよろしいでしょう」
「良かった・・・これでウェイターとか言われたら死んでしまう所だったよ」
それは俺が困る。サポートという意味なら意思の疎通がしやすいベルフェスが一番だ。
「客足が増えた場合は色々考えねばなりませんがね」
「そんなっ!?」
優雅な手つきで紅茶をカップに注いでいく。貴族みたいなものだって言ってたが、自分で入れられるものなんだな。常識はずれという訳じゃないが、浮世離れした雰囲気だし貴族なら使用人の一人や二人いそうだなと思ったんだが。
ぼんやりと見ながらアレクシエルについて推測していると、奴と目が合った。
「ストレートですが紅茶いります?」
「なら貰う」
「じゃあ僕も」
「分かりました」
互いの簡単なデータは知っているが詳細を話す事はあまりない。聞かれる事もないし、お喋りする奴も多くない。その中でもアレクシエルは喋る方だがやたらと気を回せる。だからこそ参謀なんて位置でやっていけているんだろうが。
「はい、どうぞ。熱いですから飲む時はお気をつけて」
「わぁ、ありがとう」
ソーサーごと受け取ると、紅茶特有の香りが漂ってきた。
アレクシエルはカウンターの中から動かず、その場で紅茶を楽しみ始めている。改めて、強い違和感が俺の視界を襲った。
「ああ、そうだ。ガヴァナーさんを見てませんかね?」
唐突に聞かれた。しかもアレクシエルの口から聞く名前の中でも珍しい部類に入る名前だった。
「ガヴァナー君?」
ベルフェスも意外そうだった。
ガヴァナーはこの宿を拠点にしている冒険者の一人だ。マリアという女性リーダーが率いる『ローゼントライム』の一人として行動している。
パーティ同士の付き合いというのは実際はあまり多くないものだ。依頼を受けるという意味じゃライバル以外の何者でもないからだ。
だが、俺達とガヴァナーは浅からぬ縁がある。・・・実際に腐れ縁なのは主に俺だが。ベルフェスは至って普通の付き合いだ。
「昨日の夜は見掛けたな。今日・・・は見てない」
「今日の朝なら見掛けたよ。やっぱり僕達みたいに依頼整理させられてたみたい」
「そうですか・・・」
「ガヴァナー君に用があったの?」
「ええ、お嬢さん方に言付けを頼まれまして」
お嬢さん方? 女絡み?
こりゃまた珍しい。
あのガヴァナーが女絡みで関わってるなんて。
アレクシエルがカウンターに置いてある瓶を指した。
「こちらのワイン、皆さんでどうぞとそのお嬢さん方から頂いたものなんです」
「へぇ、・・・どれ」
ワイン瓶に手を伸ばし手に取る。ラベルを見ると赤ワインであるようだった。5年物か。
「・・・ってこれ、ペインフリスじゃないか」
甘口だが舌触りが良く、幅広い年齢層に親しまれてる果実酒だ。これを作る果実はなかなか多く収穫出来ず、高価だって聞いたが・・・。
かなり気を使わせてるっつーか、人と進んで関わろうとしないガヴァナーが一体何を?
「そのお嬢さん方っていうのは? どんなお嬢さん方だったわけ?」
「東雲亭、という宿はご存知ですか? そこを拠点にされている冒険者の方々だったのですが」
「名前くらいなら聞いた事はある」
「流石ウリエルですね。『セリエナ』という肩まで伸ばした金髪の勝気そうなお嬢さんと『ルシル』というシスター・・・なのでしょうね、茶色の長い髪をした大人しそうなお嬢さんのお二人です」
「やっぱり・・・珍しい、よね?」
「珍しい、な」
ベルフェスも昔のガヴァナーを知っている。だからこそ周囲よりも若干のイニシアチブがあるのだ。
人と積極的に繋がりを持つ事を嫌がっているという事。あいつが5年程前まで暗殺者をしていた事が主な理由だ。今はやっていないと聞く。だが暗殺者は金で人 間の命で奪う事を生きる糧とする。続けることによって同業者から疎まれたりも命を奪った相手の知人から恨みを買う事だってある。前者はもちろんのこと、後 者だってなりふり構わない奴等が多いのだ。そいつらのは『妬み又は恨みの相手が嫌だと思う事をする』のが目的であるからだ。
ガヴァナーはそういった連中が現われると自覚出来る程度には命を奪っている。それは冒険者達の依頼なんかとは桁も質も違う。だからあいつは人と関わる事を嫌がる。実際それで何かあったかどうかは知らない。が、そういった出来事に巻き込まれた者の末路は酷いものに違いない。
だからパーティ内に入ると知った時は驚いたものだった。
「ルシルさんの危機を助け東雲亭まで送り届けていた所を、セリエナさんが勘違いをしてしまったらしく・・・そのお礼とお詫びを伝えて欲しいとセリエナさんから預かったのです」
「・・・それだけ?」
「ルシルさんからも承ってますよ」
「だろうな。で、それは教えてくれないんだろ?」
「勿論です。伝えるべきはウリエルではありませんからね」
「デスヨネー」
ルシルって女性の付き添いかと思ってたが当事者の一人だったのか。
「そうだったんだ。ならガヴァナー君がいなくて残念だったね」
「そうですね、お嬢さん方も残念そうでしたし」
「直に言いたかったって?」
「・・・そんな雰囲気はありましたね。特にルシルさんは。随分と落ちつかない様子でしたし」
「そわそわしてた、とか?」
「ええ、ガヴァナーさんがすぐに戻ってくると分かっていたのなら恐らく待っていらしたかと」
「ふーん、勘違いの点をきちんと誤りたいって所かね」
「そうでしょうね、真面目な方に違いありません」
・・・チッ。上手くはぐらかしやがった。
アレクシエルはと言えば爽やかに微笑んでいるだけだ。流石に一筋縄じゃいかないか。
「前から知人って訳は・・・ないよな?」
「それはないでしょう。ガヴァナーさんはどんな方なのか、と聞かれた位ですから」
・・・人となりを聞かれた、って訳か。なんか不穏だねぇ、それがガヴァナーって辺りが。
「それでアレクシエルはなんて答えたの?」
「私は答えられる程ガヴァナーさんを存じてませんので、本人に直接お聞きした方が宜しいのでは・・・と答えましたよ」
「そうなんだ」
「私よりもガヴァナーさんに詳しいお二人なら、なんて答えるんです?」
思わず、一瞬だけベルフェスと目が合った。
「優しい子だと思うよ」
「性格悪いよね」
故意に声を合わせた訳じゃないが口を開いたのは同時だった。
「・・・・・・ベルフェスさんはともかく、ウリエルに聞くのは間違ってましたね」
わざとらしく肩を竦め、溜め息混じりにアレクシエルが呟いた。


side−Arekciel

すっかり今日の陽が沈み、空は闇に包まれた時刻。急遽頼まれた宿の代行も素人ながらどうにか回せていました。それほど客足が多くなかったのも理由の一つでしょう。
皆、見よう見真似の付け焼刃でしかありませんから、プロと比べれば一目瞭然。比べなくても分かる領域です。

理由を説明した所、助かる事に話の通じる方が多かったので上手く立ち回れたのでしょう。
リーダーを含め、皆もそれなりに楽しんでくれているのも救いではあります。彼等なら「依頼」という形式と伝えれば、余程厳しいものでなければやってくれるだろうと思っていましたから。
ベルフェスさんもどうにか外へ出て貰わずに済みそうでしたからね。

ローゼントライムの皆さんも夜に近付くにつれて戻ってきました。が、ただ一人ガヴァナーさんだけが未だに帰ってきていないようでした。その後受けた依頼はあまり手間の掛かる依頼ではないようだった、とヴィックスさんから詳細を聞けましたがそれにしては遅い気がしますね。
もしや何かトラブルでもあったのでしょうか。彼程の実力があるのならば大抵は潜り抜けられるとは思いますが、何事も例外があります。想定外な出来事はいくらでもあるでしょうし。
きっちりと依頼をこなす真面目な方ですから、問題はないと思っています。
・・・これが虫の知らせとでも言うのでしょうか? 日の明るい内に話していたウリエル達の様子も気になっていました。
様々な思いを馳せていた矢先、ドアが開く音が聞こえてきます。お客さんかとそちらに目を向けると、入ってきたのはガヴァナーさんでした。一見は普段通りに見えますが・・・。
「おかえりなさい、ガヴァナーさん」
カウンターから声を掛けると、想像通りと言いますか不思議そうな顔をした彼と目が合いました。
「え、・・・えーと親父さんは?」
やはり私が本来いない場所にいる事に動揺しているらしく、ガヴァナーさんはカウンターの側へと近付いてきました。ので、私もそちらへ向かう事にします。
「実は数日留守にするらしくてですね、私達が代理を頼まれたんです」
「・・・・・・とことん色んな事するな、あんた達」
あはは・・・それは否定しませんけどね。
「なら、依頼を終えたのは・・・あんたに伝えればいいのか?」
「ええ、親父さんの主な代理は私ですので承りますよ」
そしてガヴァナーさんからの完璧な依頼報告を受け、それらをメモし分かりやすい場所へとまとめておきました。宿内の全てを把握している訳ではない為、私の範囲内で管理しやすいようにしておく必要がある訳で。
「・・・何というか、手馴れてるように見えるな」
「あなたの前に何度か報告を受けてますからね、お話を聞く事自体は好きなので然程苦になりませんし」
「そんなものなのか?」
「そんなものですよ」
話で聞く限り、依頼自体に苦労をした様子ではなさそうですね。
それに近くで表情を伺い見ると、やはり彼は異様に疲労を貯めているように見えました。肉体的・・・というよりは精神的な疲労、でしょうか。
「・・・にしても、珍しい気がしますね」
「え?」
「依頼は早く終えられたみたいなのに、帰られたのは遅かったので。・・・単にあなたの印象と違うと感じただけなのですが」
「・・・・・・」
一瞬、ガヴァナーさんの表情が強張った気がしました。
・・・触れられたくない話題だったのでしょうか?
僅かに目を伏せた彼の仕草は私の問いに対する拒否にも感じました。
「色々、あってな」
「そうでしたか、ああ・・・そうだ。あなたに言付けがあるんです」
それ以上つつく事は特にしません。気にならないと聞かれれば嘘になりますが、私に詰問する必要もする理由もありませんからね。
「ルシルさんとセリエナさんという女性はご存知です?」
「ルシル・・・ああ、朝に会ったシスターか。セリエナという名前には・・・残念ながら聞き覚えがないかな」
どこか心ここにあらず、と言う気配はありましたがスラスラと返答が返ってきて安堵しました。
「胸の大きく開いたドレスを着た、金髪のお嬢さんがセリエナさんなのですが・・・」
簡単に彼女の容姿を告げると、ガヴァナーさんも把握したのか小さく頷いたのが見えました。
「あの人がセリエナって言うのか、ならきちんと誤解は解けたんだな」
「ルシルさんを助けて頂いたお礼と、誤解をしてしまったお詫びを伝えて欲しいと言付かってました」
「何というか・・・律儀だな」
「本当ですね。ワインも添えていらっしゃったんですよ」
「・・・別にそこまでしなくてもいいのに」
差したワイン瓶を一瞥したのか、彼の目線が移動していきました。
「きっとセリエナさんにとってルシルさんは余程大事な方なのでしょうね。ルシルさんに付き添っていらしてたようですし」
「ああ、それは何となく分かるよ」
彼女の片鱗を見た事があるのでしょうか。彼の口調は静かでしたが口ぶりから好ましく思っているようだと伝わってきました。
「それと・・・これを」
忙しない様子を見せていたルシルさんが、恐らくガヴァナーさんへと何かを必死に伝えようと私に預けた銀のクロス。
そのクロスを懐から取り出すとチェーンがしゃらしゃらと心地良い音を奏でています。
十字架の部分を手にし、ガヴァナーさんへ手渡しました。
「・・・これは?」
訝しそうに彼はクロスを手にし、まじまじと見やっていました。確かに普通に考えてもどういう事かと疑問に思うでしょう。
「ルシルさんから預かった品です」
「ってこれ、どう見ても・・・自分で使う為の物だろう?」
「そうでしょうね・・・」
「そうでしょうねって・・・」
「しかし、それをあなたに渡して欲しい。持っていて欲しい。そして要らないのであれば捨ててくれても構わない、と確かに仰っていましたよ」
僅かに怪訝な顔をした後、ガヴァナーさんは自らの手に置かれたクロスを見つめていました。
「・・・何で、そんな事を」
「分かりません。ですが随分大切な物であったのは確かですよ、セリエナさんも驚かれて止めていたくらいですし」
年若い少女が持つには随分と年季の入ったクロスでした。しかし丁寧に大切に扱われていたのだと分かる程、きちんと手入れが行き届いた品でもありました。
「何故ルシルさんがそこまでの行動に行き着いたのかは分かりません、ですが大事なクロスを渡したいと思える・・・彼女にとっては何か意味があるのではと私は思います」
「・・・・・・」
あの時、彼女が激しく動揺していたのは確かでしょう。伝えたいのに伝えられない歯がゆさに苛まれていたのか。
知人でもないただひょんなきっかけで出会った、助けてくれた人間との間にどんなやりとりがあれば、あそこまでの決断をさせたのか・・・。
そして今、ガヴァナーさんは何を思っているのか。それらは神のみぞ知るのでしょうね。
「これは・・・俺の好きにしていいって事か?」
「ええ、そういう解釈でいいのでは?」
「分かった・・・」
一言、そう呟くとクロスを握ったまま彼は宿の奥へと歩いて行ってしまいました。
疲れた様子でしたし、自分の部屋へ戻るつもりでしょうか。彼の足取りはどこかおぼつかない様子でした。

それから数十分程して、再び二階から降りてくるガヴァナーさんの姿がありました。休憩をしていたのは想像に難くないですが・・・表情に残る疲労感はそのまま。
客の喧騒に紛れてガヴァナーさんは無言のまま、宿の外へと出て行く後ろ姿を見ました。
私はお客さんの相手や注文を受けていた為、声を掛ける事は出来ませんでしたが・・・その表情だけがやけに私の記憶に引っ掛かっていたのです。


side−Zeno

・・・疲れた。今日は色々な事がありすぎた。
朝から依頼整理をさせられて、その道中偶然助ける事になったシスター・ルシルとちょっとしたアクシデント。その後の依頼整理も難しい訳もなく、順調に終えられた。懐かしい親友−ドレイクと今まで足を運べなかったヴェルの墓参り。
体調が芳しくなかったのと昔を思い出したのも疲労の一因だったのかもしれない。頭痛は緩やかなまま止む気配がない。慢性的に蝕む。
未だに思う。俺が墓前に足を運んでいいものかと。彼女を死なせたというのに。大事な友人2人の人生を台無しにした罪がどれだけの重さなのか、分かっているだけに辛かった。
そしてルシルが置いていったこのクロス。どうしてこれを俺に・・・? 持っていて欲しいとはどういう事だ? 何を伝えたい? 
こんな大事そうな物を会って間もない俺に彼女は渡そうとした?
・・・分からない、そうする意図が。

百歩譲って助けた礼と考えても、きっと釣り合わない。このクロスとは比べられない何かが宿っている気がした。
要らないのなら捨てても構わないとは言われたが、このまま受け取る訳にはいかなかった。俺はポケットの中にしまっておいたクロスを取り出して見やる。暗闇の中に銀色の光が鈍く瞬いていた。
見れば見るほど確かに美しい装飾品だ。ごてごてと飾り付けられた装飾品とは違い、手の中にあるそれは最低限に抑えられたささやかな美しさだ。聖職者が身につけるのだから、あまり派手すぎても好ましくないのだろうが。
「・・・」
嫌でも思い出す。墓参りに行ったからなのかこういった夜に受け取った物と一緒に相手へ会いに行って、建物ごと火に包まれている・・・そんな光景が浮かんでは消える。
頭では4年前と今の状況とは違うのだと分かっているつもりだ。けれど・・・また似たような事が起こったら、・・・起こってしまったら。
6年経っても俺の昔の名は消えない。生きている限り残り続ける。それらは俺が命を刈っていた事による業。
この世界は残酷で、当人ではなく、当人と関わりを持った相手に狙いを定めて消していく。
関わった事でまた運命を変えてしまったら。
命を落とさずとも今まで通りの日々を送れなくなってしまったら。
・・・あの気丈な女性には二人の身に起きたような事だけは避けたい。
俺はクロスを元の位置にしまい込んだ。

東雲亭のある通りは比較的新しい宿が多く立ち並び、明るく賑やかだ。一本手前の通りは大きな商店通りになっているおかげもあって、その日の宿を探しやすいという利点がある。様々な格好をした人々が通りを行き交っていた。
その店の並びからやって来る冒険者も少なくなく、そんな中に俺も一人紛れている。朝、彼女と通った時とはまた違う、賑わい方だ。
宿の窓から漏れる明かりに紛れて東雲亭の看板が見えて来た。・・・この辺りで盛大な歓迎を受けたんだっけか。
扉の前までやって来ると中から客の歓談するざわめきが聞こえた。
果たしてルシルはいるだろうか。本人がいてくれた方が話が早くて助かるんだけどな。
片手で扉を開く。静けさはざわめきに掻き消され、中の声が強くなった。代わりにカランとベルの音が負けずに鳴り響いた。一瞥した限り、繁盛しているようだった。こじんまりとしているが綺麗な所だ。
「いらっしゃいませー!」
ウェイトレスの掛け声は客のざわめきに負けず、店内に浸透していく。
ただふらふらとしているよりは店主に聞いた方が話は早いだろう。まっすぐ抜けるのはテーブル席も相まって難しそうなので、右に大きく迂回をしながらカウンターへ向かう事にする。
新しい客の気配に気づいたのだろうか。カウンターの中で忙しく動いている店主と目が合った。
「すまない、人を探している」
「古竜の息吹亭−ローゼントライムのガヴァナーだな、ようこそ東雲亭へ。・・・で、誰を探してるんだ?」
流石だな。情報網に鋭いだけはある、顔を見ただけでさらりと名前と一致出来るとは。見定められてる、と思うのは考えすぎか?
「この宿で世話になっている冒険者、ルシルというシスターだ」
「ああ、ルシルか。なら、そこのテーブルだ」
と左側を指差された。カウンターの隅に面したテーブル席に目を向けると一つのグループが見える。あそこに彼女がいるらしい。
「忙しい時に済まない、ありがとう」
店主に礼を言って教わったテーブルへと足を運ぶ事にした。もしいなかったら、なんて事は俺の杞憂に終わったようだ。
そのテーブル席とカウンター席を含めて、若い男女が6人寛いでいた。
特に大人しそうな少年、赤毛の活発そうな少女、茶髪の少年辺りは若そうだ。
顔を知るルシルはテーブル席に、そしてセリエナはカウンター側に腰掛け、彼女の隣にいる白髪の身なりのいい男・・・おそらくパーティ全員集まっているのだろう。
時間からしても食事を取っていてもおかしくはない。実際に何人かは食事をしているようだし、その一点に申し訳なさを感じたりもするが来たばかりで引き返すのもおかしな話だ。
「食事中に失礼、ちょっといいか?」
何人かがこちらに顔を向けた中にセリエナとルシルがいる。
「誰――」
「えっ!? あ、あのっ!」
リーダー、か? 白髪の男が口を開くと同時にルシルが慌ただしく席を立ち遮る形になった。
「・・・ええ、構わないわ。まさかその日に会えるとは思わなかったけれど」
少し間があって、静かに返事をしたのはセリエナだった。
「ルシルー、座ったらー?」
そう言ったのは赤毛の少女で、ルシルの服の袖を軽くつついている。
「・・・え? あ、そ・・・そうよね、ごめんなさい」
ようやく我に返ったらしいルシルは周囲を見やった後、まっすぐ腰を下ろした。
「席は・・・」
「いや、長居はするつもりはない。気を使わなくても結構だ」
とりあえず知らない者もいるので簡単な挨拶を済ませる事にした。二人以外の名前と顔は暗記しておく事にする。白髪の男がサイファ、やはりリーダーだったようだ。
大人しそうな少年はナディ。
一際元気の良さが目立っていたのがルーファス。
そのルーファスに茶々を入れながらルシルの様子を伺っていたのがミーシャ。
「伝言は聞いて貰えたのよね?」
「ああ、まさか入れ違いになっているとは思わなくて・・・悪かった」
「いいえ、こちらも早とちりしてしまったから申し訳なかったわ。・・・そうだわ、魔法の矢、腕で受け止めていたわよね? 怪我していないかしら」
・・・ああ、そうだった。この宿の看板を見て出来事を思い出していた割には自分の身体の事は全く頭に入ってなかった。
「篭手は身につけていたし、特に問題はないと思うが・・・あんたも加減した一撃だったんだろう?」
「えぇ、軟弱な男ならのせる程度には加減してあるわよ」
セリエナは不敵に笑う。あの様子からすると撃ち慣れていたようだから多少の怪我で済む程度に済ませてあるんだろう、多分。
「あの、ガヴァナーさんがお忙しくなければ、腕を診せてもらってもいいでしょうか?」
どの辺りなのかは分からないがセリエナの発言が一部がどよめいている中、ルシルが心配そうな目で俺を見上げていた。
「もし怪我されていたら治療させて下さい、そうでもしないと申し訳なくて」
今更ながらも気付かせてもらったので後で診るつもりではいた。今の今まで気付いていなかったのだから然程酷い事にはなっていない気もする。
が、彼女があそこまで心配するのはセリエナの放つ一撃の程を知っているからかもしれない。本当なら一緒にいる時間は短い方がいいが・・少し考えてから、俺は頷いた。
「なら、頼んでもいいか?」
「はい、では・・・」
とルシルは立ち上がり、ミーシャの隣の使っていない席を指した。
「こちらへどうぞ」
「・・・どうも」
まずは指示される通りに席へ腰掛ける。篭手を外さないといけないんだな。
視線を感じ、そちらを盗み見る。ルシルがまだ少し落ちつかない様子でこちらを見ていた。
「今外す、少し待ってくれるか」
「はい」
受け止めた方の篭手を外しにかかる。流石に感じる視線が増えた気がしたが気にしても仕方がないので作業を進める事にした。・・・そういうこういった公共の場で防具を外した事はなかったな。胴体ではない限り、苦労はしないが。
ものの数分で外す事は出来た。が、いくら何でも食事中のテーブルの上に置く事は躊躇われる。
「あ、その篭手。あたしが持ってよっか?」
隣の席だったミーシャという少女が手を伸ばした。片手で持っていてもいいが、
ここは彼女の言葉に甘えようか。
「重いから気をつけろよ」
「分かってるってば」
きちんと両手で受け取ったのを確認してから手を離した。袖を捲ってルシルに見せる。
「では失礼しますね」
「ああ」
白く細い指がそっと当てられた。
「この辺り、でしょうか?・・・どこも怪我らしい跡は見当たらないですね」
「驚きはしたものの、痛みは感じてなかったからな」
「一応治癒しておきますね」
触 れていた手の平を翳し、ルシルは目を伏せた。集中しているのか、小さく口にした言葉が僅かに聞こえてきた。聖歌のように厳かでありながら慈しむ柔らかな 声。翳した手の先から優しい光が零れ落ちる。純粋な白、というよりはほのかにオレンジ色が滲んでいた。それは次第に収束し、最終的に光が全て消えていく。
ルシルは一度深呼吸をし、何度か瞬きをした。手を降ろし、前に組んだ。
「・・・はい、もう大丈夫です。我儘を聞いて下さってありがとうございました」
「こちらこそ、手間をかけた。ありがとう」
「いいえ。・・・そういえばわざわざいらしたのには何か御用があったのでは?」
ミーシャに預かって貰っていた篭手を受け取り再び装着している中、ルシルから問われた。きちんと付けた事を確認してから、ポケットからそれを取り出した。
「これを返しに」
チェーンがしゃらしゃらと鳴る。クロスとチェーンが絡まらないようにまとめてルシルへと手渡した。
「・・・! どうして・・・」
ルシルは驚いた様にクロスを見つめている。
「受け取れないと思ったからだ。これはそこらにあるクロスとは違う気がする・・・だから俺は貰えない」
「これは・・貴方に渡したいと思ったから預かって貰ったんです。私は・・それがなくてもきっともう、大丈夫だから」
たどたどしくも、しっかりと言葉を紡いでいく。彼女は何かを俺に伝えようとしている、けれどそれが何を意味しているのかまでは分からなかった。
「ルシル、あなた折角・・・!」
「セリエナは黙ってて欲しいの」
ぴしゃりとルシルは言い切った。あれだけ強気な女性に見えたセリエナだが、彼女の言葉に反論する事もせず大人しくなった。
・・・驚いた、もっと言い返すかと思っただけに意外だった。
「確かに・・・最初、何か言付けはないかと聞かれて上手く出なくて、このクロスを渡していた時は自分でも驚いたわ。・・・でもね、今はあの行動は間違いだと思っていないの」
自分の手の中にあるクロスをじっと見つめていたルシルと目が合う。
「だから私はそれを返して欲しい、なんて言いません。ですから貴方が持っていて下さい、要らないと思うのなら捨てて下さい」
強い意思の篭った言葉が返ってきた。
「これは私にとって大事な人から頂いた物なんです、お守りになるようにと」
「ならお守りとして持っていたって構わないだろう、何故・・・」
「・・・上手く言えませんけど、私よりも貴方の方がそれを必要なのではないかとそう思ったから・・・こういうのをお導きって言うのかもしれません」
少し困った顔をしていたが何か思う事があったのか、ルシルは思い出したように笑った。
俺の手にクロスを置き、包むようにして握らせる。
「・・・信じて、欲しいから。貴方に・・・」
最後の声は小さく全て聞き取れなかった。今にも消え入りそうな彼女の声を聞けたのはこの賑やかな店内でどれだけいた事だろう。
最初にも何か言っていたようだけど何を信じて欲しいと伝えたかったのだろうか。
「そこまでの決意があるなら、これは貰っておく」
ルシルは手放す事に悔いはなさそうだった。表情を盗み見てもそれが嘘だとは思えなかったのだ。
「俺の用件はそれだけだ、騒がしくして済まなかった」
もうここに居る必要はない。立ち上がりメンバー達へと軽く一例する。
「あの、わざわざこちらにいらして頂いてありがとうございました」
ルシルはそう言って深々とお辞儀をして見せた。どこまでも礼儀正しいというのか、お節介と言うのか。
俺はただ首を横に振り、東雲亭を後にした。ものの数十分の時間だったが不思議な時間だった。確かに疲れてはいたのにあの時間だけは忘れていた気がする。
外はまだ人通りがちらほらと伺えた。
結局クロスは俺の所に戻ってきてしまった。彼女は何かを伝えようとはしていたが未だに分からない。このクロスを持って懺悔でもしろと言うのか。懺悔では済 まされないから意味などないのに。それにこのまま持ち続けていたらきっと、心は休まらない。関わってしまったばかりに、俺の知らない処で誰かが業の一部を 強制的に受け取っているかもしれない。断ち切るしかないんだ。
「・・・」
ひとまずクロスを懐へしまい込んだ。この通りから出よう。その為に俺は歩き出した。
「待って!」
東雲亭から離れて間もなく、後ろから呼び止められた。女の声だ。
振り返るとそこに居たのはセリエナだった。暗い夜の中でも彼女は嫌でも目立つ。闇に紛れるのではなく、闇の中でも輝くタイプだ。
「・・何か?」
「貴方に聞きたい事があるのよ」
セリエナの鋭い目つきが俺を捉えていた。
「まどろっこしいから単刀直入に聞くわ。・・・『死神』ってどういう意味なのか、教えてもらえるかしら」
「・・・・・・」
ルシルに絡んでいた奴らの内の一人が言っていたっけか。彼女はそれを覚えていたんだな。
彼女が心配なセリエナからすれば不安な単語である事に変わりはない。人の命を刈り取るのが死神であると子供でも分かる御伽話にもよく登場するのだから。
「本当に、知りたいのか?」
「どういう事・・・?」
「世の中には知らない方が幸せな事もある、という事だ」
感情は込めない。淡々と起こった事を伝えるだけ。滑るようについて出る言葉に対して、なんて矛盾と欺瞞に満ちているんだと蔑みながら。
俺の言葉に対し、セリエナの向ける眼差しに更なる疑問が浮かぶ。
「それは・・・」
この返事を彼女がどう判断しているのか、俺はなんとなく想像がつく。
「安心しろ。今後一切、俺からルシルに会いに行く事はないし、見掛けたとしても声も掛けないし、声を掛けられても返事など返さない。丁度いいからあんたからそう伝えてくれないか」
「それで、いいの?」
「それでそちらの不安も解消されるはずだと思ったが・・・どう伝えるのかは任せる」
「・・・分かったわ、伝えておく」
どうにか納得してくれたようだ。どちらにせよ宿も違うんだ。これくらいでいい。
後はセリエナが上手く伝えてくれるだろう。
「もういいか? いいなら帰らせてもらう」
「・・・。えぇ、足を止めてしまってごめんなさい」
『死神』については完全に納得している訳ではなさそうだ。利害は一致しているから深追いはしないと言う事だろうか。
頼むから深追いはして欲しくない。死神は歪んだ鎌で命を刈り取るだけじゃない、本当に大切なものを奪う瘴気にも包まれていて、それは触れただけでも感染してしまうかもしれない。ろくでもない事ばかりの不幸の箱なのだ。俺はセリエナがそんな愚かな事をしないようと願うだけ。
俺はセリエナと別れた。向かう先は一つだった。

夜の墓地は昼間と打って変わり、人が入る事を拒絶しているような雰囲気が漂っていた。
それは今が死者達の時間だからか。うっすらと闇に紛れて見える墓石達と生気を感じない真っ黒な人影。
一歩踏み締める度に乾いた葉がかさかさと音を立てる。大抵どの墓石にもそこで眠っているであろう主が見えたりするものだ。
だが、その姿が見えない数少ない墓石の一つが・・・彼女―ヴェルの墓だ。
彼女の墓に辿り着いたのは初見ではないせいか早かった。ぼんやりしか見えないその墓標に見える彼女の名前。
俺はクロスを取り出した。そしてドレイクが置いた物の隙間にクロスを置く。
「・・・・・・ごめんな」
謝った所で何も変わらないのは分かっている。それでも謝らずにはいられなかった。
こうして墓の前でヴェルと対面して。ずっと篭ったままの自分を誤魔化し続けてきた嘘と恐怖が一気に溢れそうになった。
「ってこんなありきたりな事しか言えないけど・・・」
それはつまるところ俺のエゴで、俺はそうする事でしかこのやるせなさも悔しさも怒りも払う事が出来ない。
「俺は死ぬまで償い続けるから」
自分の知る方法以外でこれらを払拭させる術を知らないから、不器用だったとしても馬鹿だったとしてもこのやり方を続ける。
「・・・だから・・・ごめん・・・」
視界にちらつく月が煌々と地上を見下ろしていた。


 
END

いつ終わるのか自分でも分からなくなってきました←