ヴィックス過去話 その2

「ゾルディ…帰ってくるの、遅くないですか?」
パチパチと火花が爆ぜる焚火を見やったまま不安そうに呟いたのはヴィックスだった。
辺りを見回すが、小さな子竜の姿一つ視界には入らない。すぐ近くに幾多にも重なる森が見え、ゾルディがその中に入って行った事も彼等は目撃していた。だから彼がいなくなった辺りを重点的に見やっているのだが、これまで茂みがカサコソと揺れる事はなかったのである。
いくら幼生とは言え、竜が地上において最強の生き物であったとしても、ゾルディがやや特殊な分類に入る事をヴィックスはここまでの旅路で当然知っていた。
「もし危険な事があっても突然森が燃える事はないよ〜」
ヴィックスが不安に感じていた心の内を見抜いたような言葉を、アークははっきりと口にした。似たような事は既に何度かあったものの、ヴィックスはいまだ慣れられずにいたのだ。
「え、でもゾルディは側でアークさんが精霊力を仲介しているから力を抑えられてるのではないんですか?」
旅の途中でゾルディの話を聞いた時、確かにそう言っていた。珍しい内容もそうだが、共に行動していく上で重要な話題だった為、ヴィックスの記憶にも強く記憶されていた。
ヴィックスの問いに対し、焚火を突きながらアークは頷いた。眠たそうな紫色の目が焔の赤と混ざる。
「うーん、ちょっと惜しいかなぁ。離れたからってゾルディの力が戻る訳じゃないんだよ」
「え、そうなんですか?」
「オレは基本的にゾルディの力を閉じたままにしてるって前に話した事あったよね」
「はい、最低限にしているからゾルディの今の姿になっているとも言ってました」
ゾルディは外見こそは竜だが中身の本質は精霊に近い変異種だ。身に余る程の炎の力を宿しそれらを制御出来ないばかりに、親竜すら焼き殺す火力を誇っていた。
「一種の契約みたいなものなんだ、オレに力を預けてくれてるっていうね。だからどんなに離れていたとしてもオレが解放しない限りはゾルディは力が出せないんだ、…そう望んでたからね」
「ということは何かあれば逃げてくるって事ですか?」
「うん、でもゾルディに命の危険もなさそうだしね。だから大丈夫」
アークがヴィックスに視線を向けて優しく微笑む。こうして断言するという事は問題はないのだろう、ヴィックスは少し安堵した。
ヴィックスが一緒に行動して分かったことは、アークは予知能力のようなものがあるという事だった。アークの話によればヴィックス自身もその力に助けられている。
ヴィックスもその真偽は分かっていないが、アークがとてつもない力を持っているのは確実であると考えており、これまでにその片鱗も垣間見ていた。
「だとしても何処へ…」
やはり探しに行こうか、と口にしようとした時だ。奥から走る音が二人の耳に届いた。だがヴィックスの表情は明るくない、音は明らかにゾルディではないと気付いたからだ。
「…アークさん、気をつけてください」
「うん、でも…これは」
アークがぽつりと呟いた。静かに立ち上がり、特に構える事もせずに闇の奥を見つめている。
走る音はみるみる内に近付き、草を掻き分ける音が荒々しく響き渡る。一歩一歩進む行き先が二人のいる場所である事も判断したヴィックスはいつでも武器を抜けるように背の刀に手を添えた。
――ガサガサガサッ!
突如草むらから一人の若い男が顔を出した。
「……………人?」
上半身には何も身につけていない。魔物に襲われて破けているという類ではなく、衣服らしいものを元々着ていなかった。深い緑色の髪を乱雑に長く伸ばしているのが分かる。
男は髪の合間から鋭利な瞳がギョロギョロと二人を交互に見た。まるで睨まれているようなそんな錯覚を覚えてしまう程の妙な威圧感である。
ヴィックスは一瞬、男の目を見た瞬間に怯む。身体を動かす事はおろか、言葉を発する事すら出来なかった。
「……っ」
そして、男は体躯に似合わず身軽な動きでヴィックスの横をすり抜けていく。
「……!?」
悠々と自分の視界を抜けた男にヴィックスは驚きを隠す事が出来なかった。何故なら男は何も身につけていなかったのだ、上半身だけではなく下半身も。
「え…」
その間にも男は迷う事なくアークの元へと駆け寄り、手を広げ抱きついた。
アークも回避する余裕などなく、男の腕の中に包まれる。相手の方が体格も大きく、勢いが余ったのかその場に崩れ落ちてしまった。
「痛…ッ」
「…アークさん?!」
数秒遅れて怯みから解放されたヴィックスが慌てて振り返る。そこには全裸の男がアークにしがみついているという奇妙な光景となっていた。
「ただいま―! アーク!」
人懐こく、まるで友人のように彼の名を呼ぶ不審な男。ヴィックスは更に混乱が深くなった。
「ま、待て! お前は誰だ!?」
聞きたい事は山ほどあるがまず先に聞かなければならない事を優先させるべく、冷静になれと自分に言い聞かせたヴィックスはようやく振り絞れた言葉を吐き出した。
「……あぁ多分ねぇ、この子ゾルディだと思う…」
彼の問いに返事をしたのは倒れた際に頭をぶつけたアークだった。余程強くぶつけたのか声の端々に痛々しさを感じさせる。
「…とにかく、ゾルディから話を聞こっか。ゾルディも焚き木の前に行きな」
「おう」
満足したのかゾルディという名で返事をした全裸の男はアークから離れる。よろよろと身体を起こそうとするアークに手を貸すと、疑いを持つ様子もなく彼はその手を取った。
「ありがとね」



「っくしゅん!」
深い夜の中に赤々と燃える炎を目の前にして、盛大なくしゃみをする男が一人。その男に苦笑しながら外套を手渡すアークと、訳の分からず男を見やるしかなくなったヴィックスと…微妙な沈黙が訪れていた。
「…ゾルディって言いましたよね」
まず先に口を開いたのはヴィックスだった。理解が追いつかず、黙ってはいられなかったからだ。
「うん」
アークはそれを迷うことなく肯定した。
「私の知ってるゾルディと違うんですが」
「オレも初めて見るよ?」
「俺だって人になったの初めてだぜ?」
「そんなのアークさんの証言の時点で想像が付きますよ!」
タイミング良く焚火の枝がパキッと鳴る。
ヴィックスが声を荒げた後、また静かになった。男―ゾルディは外套を羽織り胡座をかいたまま、落ち着かない様子のヴィックスを見つめた。
「ヴィックス、まさかまだ俺の事疑ってんのか〜?」
「いえ…今は疑ってはいません、ゾルディだという証拠も聞きましたし」
「じゃあ、何で怒ってんだよ〜」
「別に怒ってる訳じゃありません…まだ動揺してるんですよ、よく分からなくて」
それまで小さなボールのような姿をしていたゾルディが、今や何処をどう見ても成人男性になってしまったとなれば動揺を覚えても仕方がない。
「それと」
ヴィックスはゾルディを指差した。
「胡座…やめませんか?」
「え? …何でだ?」
当のゾルディは不思議そうに首を傾げている。が、すぐに答えが分かり目を輝かせた。
「あぁ、俺が何も着てないからか」
「それしかないじゃないでしょう」
「心配ないだろ〜、女の子いないし」
「そういうレベルの問題ではなく!」
「じゃあどういう問題なんだ?」
「あぁもう! それは別にどうとでもよくて! 一番の問題は何故ゾルディが人の姿になってるのかって事です!」
このまま押し問答を続けていても進展はしない。半ば強引にやるとりを打ち切るとヴィックスは疑問を口にした。
「そうだなぁ…」
それまで黙っていたアークが唸るような声を上げる。
「根本的な性質は変わっていないみたいだよ、表面だけが変化してしまっているようだね〜」
「表面…外見だけ、という事ですね?」
「うん、そういうこと。ゾルディは何か心当たりとかない?」
聞かれてゾルディは自らの記憶を探ろうと試みた。
アーク達の側から離れ、彼が単独行動をしていた理由は主に二つ。自らの足で動き回りたかったのと、香しい食べ物の匂いに嗅覚が反応したからだ。普段はアー クの肩に掴まっていたり頭上にいたりする事が多く、そして歩みが遅いのも相まって進んで歩いたりはしないが、だからこそ自らの足で歩きたくなる気分になる 時が度々あるのである。
「あー、ウロウロしてた時に腹が減っててさ。美味そうなキノコ食ったわ」
ゾルディは正直にこの事を話した。異変のきっかけになったであろう心当たりだなんて、ゾルディははっきり言ってよく分からなかったし興味もなかったのだ。なので彼は自分がした行動を伝える事が一番適切と判断した。
「後はないの?」
「ないな〜」
「キノコって……よりにもよって何故あからさまに怪しそうなもの食べるんですか…」
ヴィックスの口ぶりが呆れている。
「でも美味かったぞ?」
「そういう問題じゃ…まぁいいですけども。食べてこの変化が起きたのだとしたら、消化されれば効果は消えるのでしょうか」
検討違いなゾルディの返答にため息をつきヴィックスは情報量の多くない、人として動く彼の異変を推測する。
この中ではヴィックスが一番年若いが、姿勢は誰よりも実直なのは二人は気付いている。
「んー、多分ね…消化の具合にもよるだろうけどそんなに長くはないと思うな」
アークの声は欠伸混じりだった。声音にも眠気が混ざる。
「持っても明日の昼くらいまで、じゃないかな? ふあぁぁ……」
最後に大きな欠伸を見せると、アークは瞼を何度かこすった。だが既に目の大きさが半分ほどに小さくなっており、いつ寝息が聞こえて来てもおかしくない。
「アークは寝てていいぞ、俺はもうちゃんと大人しくしてるし」
アークには何かしらの負荷がかかっていて、その為に疲労がより多く重なっているのはゾルディもヴィックスも周知の事実だ。
ゾルディが口を開くとヴィックスも続けて頷いて見せた。
「えぇ、私もまだ起きていますし…アークさんは少しでも休める時に身体を休めてください」
「うん…ごめんね」
アークは申し訳なさそうに小さく微笑んで、毛布でその身をくるみその場へ横に転がった。
寝息は1分も経たずに聞こえてくる。こうして寝付きがいいのもアークの日常風景であった。
「もう寝たのかー、アークは早いな」
「そうですね、これで少しでも疲労が取れるならいいんですが…」
「アークはさ…ああ見えてすごく身体に負担がかかってるんだよ。だから人より多く眠るんだ」
不意にゾルディは声のトーンを落とした。既に心地好い寝息を立てているアークの為を思ったのか、それとも何かを考えているのか、僅かに彼の表情が暗くなった。
「それは…詳細は知りませんが治せるものなんでしょうか?」
知り合ってからアークがずっとそんな調子だった事をヴィックスは思い返していた。
彼の睡眠サイクルは一定しておらず決まっていない。強いて挙げれば何か力を使った後により強く、睡魔に襲われる事しか分かっていなかった。
「さあ…俺にも分からない。俺が負荷を与えているのかもしれないし…そうじゃないのかもしれない」
「負荷…ってゾルディの力をアークさんが抑えて制限を掛けてるという?」
「…うん」
ヴィックスの問いにゾルディは小さく頷いた。瞳の奥に浮かぶ色は何処か悲しげだ。
「ヴィックスはこれがどういう意味か分かるか?」
これとは制限出来るアークの力についての事だろうとヴィックスはすぐに理解した。強い精霊の力をコントロールする、並の精霊術師では難しい技術だと彼は知っていた。だがその詳細までは専門家ではない為分からなかった。
「これは俺の推測だけど、多分…無自覚にこっちと精霊界を介する門を開いてるんじゃないかと思う」
「門って…!」
精霊達には本来住まうべき世界があるのだとヴィックスは幼い頃に話を聞いた事があった。
精霊術師は彼等の力を借りようと一時的に精霊を召喚する。紡ぎ唱える召喚言語が瞬間的な門の役割を果たし、任意の精霊に力を借りる。これが精霊術の基礎である。簡易門を使う分、召喚時間・精霊の能力は絞られてしまうが幾分召喚する難易度は下がっているのだと言う。
「まさか…簡易門ではなく…?」
「多分、大きな門だと思う。なんでそんな物をって聞かれても分からないしアークも教えてくれないだろうけど…」
そこまで喋るとゾルディは口を閉じた。
彼の言い分はヴィックス分かる気がした。アークは優しい人物だ。だがそれだけではなく、その優しい声音でどうにもならない現実的な事をさらりと言う。想像以上に意志の強く非情な理を知る人物なのだ。
「…だからって訳じゃないんだけどさ、俺が出来うる範囲でアークを助けたいし守ってもあげたいんだ」
「ゾルディ…」
ゾルディのアークに対する守護意識をヴィックスはとても強く感じた。よくよく思えば出会った当時からその意識はあった。
そして現在、彼と近い感覚をヴィックスも抱くようになっていた。
「いいんじゃないでしょうか?」
ヴィックスは小さく笑う。
「ゾルディも自分が死ぬかもしれない所をアークさんに救われたんですよね」
「そう、俺は自分の炎も御せないせいで止めようとした親を焼き殺した。その光景が頭から離れなくて、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。その時調査に来ていたフィールの人間に保護されたんだ」
そんな事をするつもりなどなかったのに燃やし尽くされる親の姿を、呆然とゾルディは見ているしか術がなかった。一歩も動けなかった、助ける為に動く事すらも出来なかった。
「どうやらフィールの人間達は周囲の精霊の異変を調べていたらしくてな、俺のこの力もその異変に関わってるんじゃないかと思ってたみたいでさ、どうにか力を抑える手段を考えてくれてはいたんだ」
ゾルディはじっと目の前の焚火を見つめていた。その瞳には何とも言いしれない感情が宿っている。ヴィックスにはそう伺えた。
「けど解決策は見つからないみたいでさ、俺もどういう結果になるのか分かった気がしてたよ」
「…自分が死ぬんじゃないか、と?」
「そう。だってさ、新米らしい精霊使いが俺の前で泣きながら謝るんだ」
記憶の隅からするすると当時の思い出が蘇る。
新米精霊使いは成人もしたばかりの若い女性だった。その日は朝からしんしんと雨が降っており、暗い表情をして彼女は近付いてきた。
小さな姿をしていたゾルディはなかなか口を開かない彼女をじっと見上げていた。ややあってから彼女は呟いた。まるで懺悔をしにやってきた罪人のように。
『ごめんなさい、わたしは貴方を助けられない』
彼女は何度も際限なく謝った。毎日毎日、同じ言葉をゾルディに繰り返した。謝り続けていく内に後半は掠れ声になっていった、仕舞いには声にもならず泣き伏せしばらくしてから去っていった。
自分の身体が人とは違う身体であっても、相手が何を言おうとしてるかは分かる。その時ゾルディは悟ってしまった。自分の死期が近い事を。力を抑える為の籠は長く持たない事にも気付いていたからだ。
「俺自身が使いこなせないばかりに周りが死ぬのは嫌だったから、これでいいんだと思ってた。そこにアークが現れた、あいつはふらりとやって来てあっという間に解決してしまったんだ」
パチパチ――焚火の火が爆ぜた。燃えた枝が静かな空間にカランと音を上げた。
ヴィックスはどう返すべきかを考える。だが答えなど当然出なかったし、かける言葉も思いつかなかった。ただ静かに聞く、それだけが今の自分に出来ることだとヴィックスは敢えて口を開くのをやめた。
「それから今までずっとあいつの側にいる。アークはすごい事が出来るのに隙が在りすぎる、警戒していない訳じゃないんだけどー…」
「それは…分かります。上手くは言えませんが、警戒が追いついていない感覚がして」
「やっぱりお前も感じてたんだな。要は…危なっかしいって言うか」
「はい…結構危なっかしいですよ」
元裏家業に生きていた人間と生存競争の激しい野生生物は揃って相槌を打つ。アークに対して感じていた危機感が自分だけではないという安堵感も抱いていた。
「ゾルディも気付いてるかもしれないですが、あの危なっかしさ…本人は無自覚だと思います。そうでないと説明がつきにくいかと」
「アークが話してくれない限り真相は分からないけど…恐らくヴィックスの予想で合ってるんじゃないかと俺も思う」
ゾルディはヴィックスの方へ顔を向け穏やかな笑顔を見せた。長い腕をヴィックスへ伸ばし、手を広げた。
「俺は同じ気持ちを抱いてくれているヴィックスに自分の気持ちを話せて良かったと思ってるぞ、こんな機会滅多にないしな」
「全く…あれだけ驚かせておいて結果オーライとでも言うつもりですか」
こうなる事を予期していたのかと思わせるゾルディの口ぶりに、ヴィックスは反論しながらも苦笑いを浮かべた。そして握手を求めているのだと気付き、彼の手を取った。
「頼りにしてるぜ、ヴィックス」
「こちらこそ頼りにしてますよ、ゾルディ」
こうして奇妙な体験をした夜は過ぎていく。


END