タイトルのお題は「bird of passage」様よりお借りしました。
http://reincanation.web.fc2.com/bird/top.html
管理人:流離(るり)様

目が覚めた時、私はその風景に驚きを隠せなかった。死の国とは現実と近しい場所だったのかと思わせた程に幻想的な風景から随分とかけ離れていたからだ。そうではないのだと気付いたのは数分が経って頭が冷静になってからだった。
しかし違和感がある。私は死んだはずなのだ。なのに…こうして動けている。生きている。心臓の鼓動が聞こえる。その揺らぎようもない感覚と私の意識とのあまりの差に動揺が隠せなかった。
私の記憶の中では今まで仕えていた主に体のいい裏切り者へ仕立て上げられた所まで、そして問答無用に矢が降りかかり…そこで止まっている。
そこから何があればこんな状況になる? 孤立した私に助けなどなかったはずなのに…。
「…ぅ!」
起き上がろうとして腕の痛みが走り、私は一瞬動きを止めた。響く痛みで身体を抱え、目を向ける。薄暗がりだがどうにか見えてくる、丁度肘より少し上辺りに布らしきものが巻かれていた。
…これには覚えがある。絶望に陥り死を覚悟した時、射られた矢が当たった時の傷だ。確か刺さって貫通していたはずだったが…すっかり手当てされている。
あの時の動揺が悔やまれる、僅かな隙を与えてしまったばかりに本来なら食らうはずもない矢を受ける事になった。その記憶がぐるぐると蘇ってくる。喉の奥からうぞうぞと這いずる蟲のように近づいてくる死の恐怖。
更には全身からじわじわと痛みがやってくる、いやこれは戻ってきた、と言った方が相応しい表現か。
暗闇にも次第に目が慣れてきたようだった。ここは一体何処なのか、私は改めて辺りを見渡す。実に簡素な部屋だった。詳細は分からないが私が寝かされていた のはベッド、右手側に見えるのはテーブルと背もたれ付きのチェアー。その奥にうっすらと見えるドア、チェアーのある後ろの壁に窓が一つ、それはその位置に しかないようだった。
そしてチェアーには誰かが掛けていた、男女は分からない。静かに音を聞き取るとどうやらチェアーから寝息が聞こえる。どうやら眠っているようだ。
起こしてしまうのも悪いだろうか? だが助けられたからと言って善人とは限らない。私は出来るだけ音を立てないように動けるかどうかを確認する。
「…ギャウ」
聞き慣れない生き物の声がした。ほぼ同時期に感じる強い視線。暗闇の中でも分かる鋭い眼光に私は注意を向ける。
「んぅ? …どうしたの、ゾルディ」
少し遅れて声がする。声の主は若く、それだけでは性別の断定がつきにくい。
動かしてみたが私の身体は消耗が激しく引きずるように動ければマシ、という程度だ。これではいざ逃げようと思っても厳しいな。
「誰だ…」
「ギャウ…」
「いいよ、ゾルディはそこにいて」
相手の気配が動いた。妙な生き物はチェアーに残っている、闇に浮かんだ目だけが私を見ているのが分かる。ギラギラと輝く鋭い眼差し。あの生き物が私を警戒しているのだ。私も身を強張らせ、警戒は怠らない。
然程の間もなく、小さな光が浮かび上がった。狭い部屋だったからか、おかげで全体が見渡せるようになる、そこに立っていたのは…金髪の…恐らく男性。私の想像通り若い人物だった。男性というよりは少年と呼ぶ方が正しい気がする。おそらく私と同年代なのではないだろうか。
「起きたんだね、調子はどうかな?」
明かりを頼りに、気になっていたチェアーの上の妙な生き物を確認する。肘掛けがあるから見えにくいが、小さくて丸みがあるみたいだ。トカゲにも見えるし、犬に見えなくもない。
「生きていただけマシと言った程度でしょうか。……ここは何処ですか、そして貴方は誰ですか」
私はさして変わらない年の少年の顔をじっと見やる。金髪の少年は私の方へ近づいて来た。安易に近づけさせていいものか悩むが、自由に動く事すらどうかも難しい私にやれる事は少ない。一応助けてくれた相手ではあるが…。
相手はベッドの縁に腰掛けた後、表情を変えずに私を見ただけだ。
「ここは…おそらく昔誰かが住んでた家じゃないかな。君を助けた所からは離れてるから心配しなくていいよ」
相手の服装は至って軽装だ。金属製の鎧を身につけている様子もないし、更に驚く事に武器らしいものすら見当たらない。外しているのか、それとも一般人…い やそれはないか。精霊術の使える時点で…浮いているあの光はおそらくフォウだろう。精々旅人止まり…、それにも疑問が残る。
武器すら持っていないのならば近接行動は取れないのだろうか。だが断言してしまうのは浅はかだ。精霊術以外に何が出来るかも分からない相手なのだから、気を許しすぎてはいけない。
「それでオレの名前はアーク、アーク・グランギアスだよ」
警戒を見せる妙な生き物とは対照的にアークと名乗った少年は柔らかく微笑んだ。旅人にしては隙が大きい、…私の行動を伺っている? 考えすぎか。では私がこんな事を考えているとは思ってもいないということか。
「君の名前、教えてもらってもいい?」
人懐こい笑顔で問い掛けられる。他意のない、真っ直ぐな眼差し。
「ヴィックス・スレイ…です」
もしくは酷い怪我だと分かっているから警戒する必要がないのか。分からない、どうして私を助けた? 正体も分からない見ず知らずの私を助けるその意味は…。
少年の代わりに小さな生き物はずっと私の動きを見やっている、…まだ警戒を崩していないようだ。低く唸る声がそちらから聞こえている。
「じゃあヴィックス。早速だけど包帯、変えようか。酷い怪我だったから」
「……」
軋む身体が悲鳴を挙げているようで、私は抵抗を止めた。今は考えるにしても材料が足りないんだ、そんな状態で考えるのはやめよう。
「色々聞きたい事はあると思うんだ、でもそれは明日にしよう。大丈夫、オレも分かる範囲で協力するから。答えは逃げないよ」
「…分かってます」
身体だけじゃない、意識も重い。無理して起きるべきじゃなかったかな、なんて今更な事を巡らせながら目を閉じる。ぷつりと意識が途絶えたことだけは理解出来た。

次 に目が覚めた時には一つしかない窓に光が差し込んでいた。朝を迎えたらしく、外では鳥の囀る声がうっすらと私の耳に届く。死ぬしかなかったと思っていた私 がここまで生きているなんて思わなかった。それとほぼ同時にふわりといい香りがする。それは嫌でも胃を刺激してくる食欲をそそる匂いで、隣を見れば私を助 けてくれたアークさんが食事の準備をしていた。
「おはよう、ヴィックス」
「…おはようございます」
「ご飯、食べられそう? ホントならもう少し柔らかいものの方が良さそうだけど」
食欲をそそる、と感じている時点で食べる気力はあるのだろう。いまいち空腹感は感じないが…食べられるとは思うので頷いた。
「えぇ…少しなら」
「うん、少しでも食べられるなら大丈夫」
食事を用意してもらい、私はベッドの上で食事をする事になった。炙った干し肉を簡易パンで挟んだものだったが異様に生きた心地がした気がした。『生』というものはこんなに嬉しく思えるものだったのか、そして私はこんなにも生への執着心を持っていたのだと改めて認識した。
「…あの、お聞きしてもよろしいでしょうか?」
食事の手を止めて、私は気になっていた事を口にする。別に沈黙が気になった訳じゃない。私が知らない事を早く知りたかったのだ。
「いいよ〜、なぁに?」
「何故、私を助けたのですか? あの場に居合わせたのなら状況はご存知でしたよね、貴方があの時に私を助けてもメリットは一つもなかったはずです」
最も気にかけた問いだった。一部始終、発する言葉・表情を見逃さないようにアークさんを見る。今まで信じて疑わなかった主人に裏切られた私に、この少年が何を求めているのかが気になった。
「ん〜、確かにメリットはないよね。普通ならあんなに危険な場所に首をつっこもうとは思わないだろうし…、君が信じるかは別なんだけど不思議な夢にヴィックスが出て来たんだ。危険そうだったし助けた方がいいんだろうなって感じたから助けただけなんだよね」
そう言って彼はパンにかぶりついた。ふんわりとした喋り方をする割には食べっぷりが見ていて気持ちがいい。表情は相変わらずで何を心中に思っているのか、読みにくかった。あと彼が何を言わんとしているのかも分からなかった。前者は分かる、だが後者は…どういう意味だ?
「夢に私が…出てきた? どういう事なのか、もう少し分かるように話して貰ってもいいですか?」
「んとね、どうやらオレね…予知夢? を見る時があるんだ」
「予知夢、ですか?」
予知夢…話に聞くくらいで実際に私が体験した事もなかったが、見た夢が現実で真になるというものだ。稀にそういった力を持つ者がいるのだと聞いた事はある。
「うん、特に死の危険性が高い夢はやけにハッキリと見えたりしてね。もちろん会った事はない人ばかりなんだけどさ、朝起きると何だかすごくその夢が気になるんだよ。行ってみると夢と全く同じ光景が起こってて…」
「覚えているのですか? 予知夢の内容は」
「覚えてるよ、こういうのって印象が強くてさ。自分の死でなく他人の死であっても例えそれが夢であっても…衝撃は大きいんだ。だからあのままだと君が死んでしまうと思って、助けたの」
柔らかい表情を浮かべていたアークさんの顔色が曇る。言葉の後半はまるで言い訳をするような子供みたいな言い方に聞こえた。
確かに…人の死というのは見ていて気持ちの良いものではない。けれど…本当に死が入り混じる場所へそれだけの理由で動こうと思うものだろうか? その姿勢は私がいた世界には存在しなかったものだ。
「…ホントはね、助ける事は良くない事なのかもって考えたりするんだ。でもよく分からないから、だったら死ぬよりも生きていた方がいいかなって。…ごちそうさま」
アークさんはあっという間の速度でたいらげると、丁寧に手を合わせて一礼する。分からないなら奪う事より生かす事を優先する…か。結局、メリットは省みないって事しか分からなかった。
「アークさんは…すごいんですね、そんなこと考えた事がなかったですよ」
「そう、かなぁ…」
そう言ってアークさんは欠伸を噛み殺した。まだ眠たいらしくぼんやりと薄汚れている床を見ている。何かを考えているようにも見えるし、ただ眠たいだけにも見えなくもない。
「オレは凄くないよ、傍から見たら単なる度を越えたお節介だもの。死に場所を求めている人だっているかもしれないし」
「それでももしまた同じ予知夢を見たら、アークさんは助けるんですか?」
「多分、ね」
「何故ですか?」
「…だってオレにはその人が死に場所を求めているのか分からないもの」
言えている。人の心が読めない限り、他人の気持ちなど覗けない。ましてや人の心を読めても放っておく事は人のあり方として正しいのか……。行動を起こしている彼が分からないのなら私が分かる訳もない。
「だから助けるんですね」
「…そうかもね」
彼は小さく笑う。…何とも不思議な人だ。アークさんの言葉には明確な裏付けがある訳じゃあない。むしろ不明確な事ばかりなのに信じてもいいと思わせる何かがこの人にはあるような、そんな気がしている。
…いくら助けられたからと言っても、会って間もない相手にこんなに心を開いてどうするんだ。私は。
「お節介ついでに、この地域からは早く離れた方が君の為だよ。ゾルディがあれだけ暴れてくれたから向こうは死んだと思ってるだろうけど…あ、ゾルディっていうのはこの子の事ね」
アークさんは指先で膝の上で静かにしているゾルディをちょんちょんとつついた。それまでずっと静かにしていたゾルディと言う名の奇妙な生物は名前に反応したのか、それともつつかれたからなのか、ただ小さくギャウとだけ鳴いた。
「君のいた所にね、大きな火柱を上げて貰ったんだよ。覚えてない、かな?」
「火柱…?」
うっすらとした記憶だが赤いものが一面に視界を覆っていたような気がした。それが炎だったのだろうか?
「なんとなくは」
「周囲はすごかったよ。向こうは君が隠れられないように見晴らしのいい場所を用意したようだけど、それが仇になったね」
「それで相手は私が死んだと思っている…と?」
「君が普通の人間であるならあの炎を受けて生きてはいないと思うよ」
炎を受けて死なない身体など普通なら有り得ない。私は肉体的には至って普通の人間なのだ。…ならば私は死んだものと思われているのだろう。どれほど離れているのかは知らないが安全を考えるのならより離れた方がいいに決まっている。
「こんな事を言うのは失礼ですが、私は……生かしてもらう価値のある者なのでしょうか」
「……」
ふと考える。こうして命を拾われたところで私に何が残っているのだろうと。……何も残っていない。私が幼い頃より身に付けてきたその技術すら否定されたに等しいのだから。
「分からないんです、生きている事もこうして食べる事も喜べるのに…分からない」
「別に失礼じゃないよ。ただ…オレから見て君はとても若く見える、まだ混乱もしていると思う。そんな君が…全てを諦めるなんて早すぎるんじゃないかな?」
「……」
「まだ君はこれからの事に関して、一つも行動していないよ。それに君には自由が残ってるでしょ、君がどうしたいのか選ぶ自由がある、好きにしてみたらいいんじゃないかな」
ますますこの人は不思議な人だと認識を改める。ただの優しそうな人ではない……けれど彼の言葉に打算は感じない。とても近い歳とは思えない悟りの境地に達しているようにも見える。
「それこそ、君が彼らのところに戻ってもいいし、死にたいと本当に願うのならそれでもいいってこと。オレは君が決めた意志を否定しないよ」
…本当によく分からない人だな。
意識芽生えてから私にとって自由とは縁遠いものだった。あるのは命令だけ。隠密や密偵には自由ほどいらないものはない。いや、与えられなかった。選べる自由を知った今となってはそれが当然の事だったのかは分からないけれど。
「分からないなら探すのも一つの手段だよ、それに…望むならオレも協力してあげられる」
「…いいんですか?」
「うん」
アークさんの返事はやけにあっさりとしていて、変に構えていた自分が恥ずかしくなる程だ。
「尋ねる事は悪いことじゃないから気になるならどんどん聞いて、自分に足りないところを埋めていくといいよ。始めるのならそこから始めよう?」
「…ありがとう、ございます」
生き延びた事で私が知り得た事なんて、きっと知りたかった事の半分にも満たないのだろう。アークさんが言うには知れる機会が多くあると言う。その中にはいつか私が始末されそうになった訳も含まれるのだろうか。
「それに、お節介なんて今更だしね」
自分がしている行動に対しての自虐なのだろうか。言った後でクスクスと笑う。まさかアークさんがそんな事を言うとは思わず、私も釣られて笑ってしまった。
ゆっくりと私は目を閉じる。…ああ、こんな私でも孤独ではない。主に見捨てられたとしても神に見放されてはいないようだ。
「よろしくお願いしますね、アークさん」
「うん、よろしく」
孤独から始まる縁が愛おしく感じるのはこれが最初で最後でありたいと、彼の微笑む顔を見て確かに感じた。



END