「何処かにいい男転がってないかしらぁ・・・」
…また始まりやがった。
女の夢魔特有の甘ったるい喋り方、飽きる程聞いてる。
「そうねぇ、ファムファータ姉様。あたしも好みなオジサマ欲しい〜」
それに続く甘ったるい声その2。だがそいつの声色は幼女のソレだ。
チカチカと光る原色のライトが回る。綺麗を通り越して最早目が痛く感じてくる。
柔らかい材質のソファーに横たわり身を沈め、リラックスしているのがオレ様の姉その1。名をファムファータ。一族特有の紫色の髪を腰よりも長く伸ばした女。
似たような容姿をしているのがヒエリーテ。団子頭のロリぺた女。見た目に騙されるが実際はオレ様よりも数倍上の年齢だ。体型的にはファムファータとまるで正反対だが仲はいい。
「子宮の奥が疼くようないい男ってなかなかいないのよねぇ」
「ホントホント、出来れば素敵な殿方と繋がりたいわ。姉様とは好みが違うから助かるけどぉ」
ちなみにこの姉二人。
好みの男もバラバラだ。ファムファータは主に10代。ヒエリーテは主に50代。
どっちも色んな意味でヤバイ。ビジュアル面において。
「キャスバルド、貴方は? 最近元気がないようじゃない?」
「別に、普段通りだぜ。ただ退屈なだけで」
オレ様達のいる場所は『ラビリッシュドリーム』と呼ばれ夢魔が集う、いわゆる高級娼館だ。魔界の中でも唯一絶対の夢魔族のエリアでもある。
ここを統べるのは夢の女王・リリッシュ。オレ様達三人の母に当たる、通称『ナイトマザー』。この館のオーナーであり最上級娼婦だ。
オレ様を含め、三人共父親は違うらしいがナイトマザーの夢魔の血が強く出るせいか、完全な夢魔として生まれやすいのだという。血が混ざってもハーフになる 事はほとんどなく、夢魔の男女では子孫は作れない。そして母親の種族か、父親の種族に偏り、相手の能力は受け継がれることはないそうだ。生まれた後、子孫 は各々の種族が住む場所へ行く事になる。夢魔族以外だった場合は、ここで住まうことは基本出来ないということだ。
「まぁ、そりゃ退屈よねぇ。キャスバルドはここで男娼している訳じゃないもの」
「あなたのサディスティックっぷりなら人気もありそうなのにぃ」
「るせぇな、同系族に欲情出来るか」
この館には様々な客が来る。悪魔だろうがなんだろうが一部を除いては欲求不満を解消しようと一夜の夢を求めにやって来る。夢魔はその求めに応じて相手をする。夢魔達は趣味と実益が兼ねているようなものなのでとても都合がいい商売ではある。
が、ナイトマザーやそこの姉二人クラスになると客が相手を選ぶのではなく、娼婦側が客を選ぶようになる。力の弱い奴ではあっという間に精力を吸い取られ死に至ってしまう。
「なんでぇ同族が嫌なのかしらぁ? 中には男悪魔だって貴方を指名したいって言ってるお客さんもいるのに」
「突っ込まれるのは死んでもごめんだ」
普通なら夢魔族は欲情しえる相手なら誰だって一夜を共にする。同じ夢魔族でも、同じ血族でもだ。そこから得られる快楽を何よりも喜びとし、糧とするからだ。
だがオレ様はどうもそこらの感覚が周りとズレているらしく、夢魔族相手どころか魔族ともその気が起きない。
快楽を司る身分としてはえり好みをする事は滅多にない。が、実際にオレ様はこの館には住んでいるが客は取っていない。そんな事をしている夢魔も他にみないから、これも特殊な例なんだろう。
糧を得たくて進んで客を取る夢魔はいても、生きる糧として必要最低限で済ませようとする夢魔なんて本来ならおかしいんだ。
「・・第一知るかよ、燃えねぇもんは燃えねぇんだから」
「それに夢魔同士って気持ちいいのよ? 知らない訳じゃないでしょ?」
それは聞いた事がある。互いに得意分野であるせいか、普段得られる快感よりも多く得られやめられなくなるのだと。だが異種族との行為とは違い、糧として変換されにくい。
オレ様は食指が全く動かないから試した事はないけどな。この二人は結構やっているようだ。
「らしいな、気持ち良すぎるからってデカイ声くらい自重して欲しいもんだ」
「ふふ、入ってきても良かったのよ?」
「同族な上に更にガキみたいなチンチクリンがいるとかごめんだね」
「なぁによぉ! 生意気な子!」
頬を膨らませてヒエリーテがこちらを睨んでいる。
「あたしはロリ層のハートをがっちりキャッチしてるんだから! チンチクリンとかやめてよねぇ!」
…多少の悔しさが混じっている気がするのは気のせいか? 大体それでチンチクリンじゃなかったらその外見の意味もない気が…まぁいいか。
「よしよし」
それを見兼ねたのかファムファータが頭を撫でて自分の元へと引き寄せた。
ヒエリーテは嫌がるどころか自ら進んでファムファータの胸の中に埋もれていく。
「えぇん、姉様ぁ!」
「キャスバルド、おやめなさいな。こんな可愛い子になんて事言うの?」
「オレ様は本当の事言っただけだぜ? ファムファータ」
って何見つめ合ってんだ。身体が触れただけでその気になるとか早すぎだろ?
このままにさせると二人でおっぱじめるだろうから、ヒエリーテをファムファータから引きずり離して手近な所へ転がした。
「んもぅ! ちょっと大きいからっていい気にならないでよね!」
「やるなら個室でやれよ、見たくもないレズプレイ見せられる身にもなれ」
この部屋はオーナー直系の血族だけが入る許可がされている。つまりどう頑張ったところでオレ達三人しかいないということだ。
当然、外の者は入ってこられない。血族以外の奴が入って来たとしてもほのかに甘く香る蜜の誘惑に耐えられず、吸い寄せられた蜂の如く遊戯に交ざるだけなんだろうがな。
「一つ聞きたいのだけど」
横でキーキー喚くヒエリーテの頭を撫でていたファムファータの目が見定めるように細まった。
「貴方にはお母様…いえ、オーナーがどう見えてる?」
彼女と顔を合わせたのは片手で足りる程度だ。本当の姿を見た者がいないと言われる夢魔の女王。何故ならば、彼女を見た者は自分の最も好みな容姿を持つ者に 見えると言われているからだ。我慢が出来ず襲ったとしても断る事をしない為、あまりの力の強さに生半可な相手では精力を全て吸い取られる代わり、生きた中 で感じた事のない異常な快感を味わえると聞く。それ故に『死んでもいいから一夜を共にしたい』と夢見る者までいるそうだ。
「どうって…人間? 男女は決まってないけどな」
「それでもそそられないの?」
「匂いが人間じゃないからな、夢魔は皆特有のフェロモンの匂いしかしねぇ」
「けれど人間って脆いじゃない、加減出来るの?」
「加減を覚えなきゃ人間から精力なんて吸えねぇよ、反対にそれを楽しむのが対人間流だ」
「やーだぁ、手加減するなんて面倒くさーい」
そう言う返答は返ってくるだろうと思った。
確かに夢魔は加減をしてやるような種族ではない。一人の相手からどれだけの精気を搾り取れるかを考える。枯れるまで吸い付くそうとするのがお決まりだ。
「繊細な玩具は大事に扱わなきゃな」
「キャスバルドってぇ…変わってるわよねぇ、エッチでセーブしちゃうなんて勿体なぁい」
心の底から呟いたヒエリーテの言い方に少々腹が立ったオレ様は、その小さい頭を問答無用に小突いておいた。わざとらしい悲鳴をあげてよろめくヒエリーテを無視して席を立つ。部屋を後にしようと足を進めた。
「キャスバルド、何処へ?」
「遊びに行ってくんの」
「そう、程々になさいな」
「言われなくても」
ファムファータはオレ様のやることに対して、肯定も否定もしない。こちらとしては助かる話だ。
ヒエリーテは見た目同様、中身も子供っぽい一面が強く好奇心もそれなりにある。とは言え流石に人間のいる世界までついてくるなんて気はないだろうだがな。
「キャスバルド、貴方覚えておきなさいよね!」
「それはチビって言った事か? それとも貧乳って言ったことか?」
「全部よぉ! 馬鹿ー! 年下のくせにぃ!」
年上の嗜み一つ持っていない姉には言われたくない台詞だけどな・・・。そんなヒエリーテのやかましい声を流し聞きしつつ、オレ様は部屋を後にした。

                      ・

人間界っつーのは周りの奴らが言う程つまらない場所ではなかったりする。確かに自分達の身を守る為に過敏になりすぎて疑心暗鬼になったり、その果てに同族を簡単に売る事に躊躇いも持たないが。
そしてオレ様達魔族とは相容れない為、おおっぴらに動くと痛い目に合う事も多い。人間の中には稀に実力の高い奴らもいる、そいつらに退治される事もままあるのだ。
人間達に主な敵対行動を取っていないオレ様とて例外はない。見つかればどんな理由だろうと討たれる。そんな危険性ありながら何故人間界に降りるのか?

――それは断然性的に美味しそうだから。
相手が限定されるだけであって、該当されればオレ様とてファムファータ達と似たようなもんだ。
が、仕方ない。夢魔っつーのはそういう生き物だ。本能で快楽を求めるのだからどうしようもない。特にオレ様は館内では解消が出来ない分、余計に溜まっているのかもな。
こんな時人間ならば一人でする事もあるらしいが、夢魔にソレは意味を為さない。摂取しすぎて『酔った』夢魔は吐き出す為にしたりもするらしいが、その程度の行為だ。
「さぁて、今日はどうしたもんかねー」
降りた先は大きな都市の近郊だった。オレ様は人間の姿に変わり夢魔の気配を消す。こうしないとバレて殺されるからな。これでパッと見は魔術師だ。
人間として動く為には人間をよく観察して学んでおかないと違和感が生じる。
こ の都市はリューン。付近の地域では一.二を争う広さだ。中心部はそれだけ人も多く、紛れる事が出来るものの同時に強い人間もいる事があるのでリスキーだ。 なので大抵中心部から少し離れたところで動く事が多い。この辺りは貧民層が多く、冒険者がいたとしても早々強い奴はいない。
「いけない、避けて!」
突然どこからか声が降る。オレ様に言ったとは思いもせず、しかし『避けて』と言う言葉が気になり周りを見ようとした瞬間、頭の側面へ何かがぶつかる衝撃を感じた。
「って!」
勢いがあって思わず身体がよろける。被っていた帽子がふわりと浮き上がって外れる感覚がした。
帽子を押さえるよりもぶつかった方が思いの他痛くてそれどころではなかった。
クラクラする。なんなんだよ、一体。
「すいません! 大丈夫ですか!?」
駆け寄ってくる男に声を掛けられる。両足に力を入れその場で踏みとどまってからそちらを一瞥をした。
「お怪我は!?」
中年の上品そうな男だった。白い法衣を身につけている事から牧師か神父だろうか。穏やかさ、優しさの雰囲気が隠しきれていない。
そしてそれ以上に――
「いや…」
――なんて好みな人間…!
痛む箇所を手で摩ってはいるが、頭の中はそれどころじゃない。これを逃すなんて出来る訳がない。
男は落ちた帽子と当たったらしいボール? を拾い上げてから、帽子についた土埃を払ってこちらへ差し出した。
「はい、落としてしまった帽子です」
「悪い」
「いえ、悪いのはこちらですから」
そう言って男は苦笑いを浮かべた。
…まずい、こりゃすぐにでも喰っちまいたくなる。
「ほら、トビア。きちんと謝りなさい」
男の後ろからこっそりと顔を出したのは小さなガキだ。こちらの顔色を伺っているのがよく分かる。神父からボールを受け取るとそれを不安そうに抱えた。
「ご…ごめん、なさい」
「次からは気をつけろよ」
「うん…」
目が合うと気まずそうに神父の後ろへと再び隠れてしまった。
怖がられてるみたいだな。ガキは得意ではないから懐かれるよりはマシだが。
「手当てもしたいですし、大したおもてなしは出来ませんが…お時間があれば如何ですか?」
出来れば受けたい所だが…耐えられるかが問題だ。生殺しにも程がある。
「じゃあ…そうさせてもらうとするかな」
…ものの、頭の中じゃ未だに迷ってはいるのに…勝手に口が喋りやがった。
本能には勝てないということか…くそ、調子が狂う。久しぶりだとこれだから困る。
「良かった、ではご案内しますね。私はその先の孤児院に勤めていますラグナス・シュテルンと申します、貴方のお名前は?」
「キャスバルド・フォーセンテスだ」
もやもやして上手く言葉が出ないのは初めてだ。
これは一体何という感情なんだ…? 分からない。久方ぶりの獲物で喜んでいるのも事実だが…。
オレ様は受け取った帽子を深く被り直した。
「ではこちらです、あまり離れてはいませんからすぐにつきますよ」
神父の案内でやってきたのは古いものの大きな建物だった。その周囲ではさっきのガキと近い年代のガキ共がウロウロと遊んでいるのが見える。
「さ、遊んでいらっしゃい」
「うん神父さま!」
一瞬だけオレ様を見て、そのガキ頭を下げた後走っていった。ああいう神父の元で育った賜物なのか、意外に礼儀正しいもんだな。
「こちらですよ」
「結構広い所なんだな」
「えぇ、孤児院として開かれる前は店の倉庫として使われていたそうですので」
建物の中へと通される。白壁に包まれている中は外で見る以上に快適そうだ。
入口のホールに足を踏み入れると三つの通路が見えた。奥行きもあるらしく、正面奥に祭事用の祭壇が見える。
西の通路へ案内されて一つめの部屋に通された。
余計なものは一切置いていない。必要最低限な家具しか置かれていないようだ。恐らく神父の個室か。
「そちらへお掛けになって下さい」
とベッドを指される。
…なにこれ、誘ってんのか。ああくそ、押し倒したい。
言われた通り、適当に腰を降ろした。
「こんなに広いんだと一人じゃきついんだろうな」
「えぇ、勿論です。私だけでなくここの責任者であるウォメーシュ様、そしてシスターが二人いらっしゃいますしね」
4人か。流石に多いかな。
その責任者がどれ程の力を持っているのかも不明だしな。迂闊な事はしない方が懸命か。
…それにさっきから妙な気配がする。建物全体的に包まれている力よりも薄く感じる。弱々しすぎて詳しい事は分からないが…何となく、このラグナスという神父から…?
まさか…普通の神父じゃなかった? でもパッと見は人間だよな…。
「帽子、取って頂いてもよろしいですか?」
「ああ、そうだよな」
ラグナスがオレ様の前に立ち、見下ろしている。
帽子を取って見せると、ラグナスは礼儀正しく一言あってから手を伸ばした。
またほんの少し、気配が強く香る。神聖な力が占めているから分かりにくいが・・・これは、獣の・・・?
「あ、あの・・・」
「え?」
無意識だったから気付いていなかったが、我に返ると居心地悪そうにしているラグナスがいた。
「そんなに見られると恥ずかしいのですが・・・」
そう言って困ったように微笑んだ。
「ああ、悪い悪い。あんたの顔、好みでね」
「・・・? そうなんですか? でも、私・・・男ですよ?」
「男相手だって好みの顔くらいはいるもんだぜ?」
「そ、そうなんでしょうか? キャスバルドさんって不思議な事をおっしゃるんですね」
「そうかな、あとキャスでいいさ」
妙な気配があるから色んな可能性を訝ったが、ラグナスの性格自身は基本的に実直な人物のようだ。嘘をついている様子もない。
少しコブが出来ていたらしく、それを治療してもらう。
「如何でしょうか、具合の方は」
治療を受けていた箇所を手で軽く撫でてみる。触っても痛みは感じない。
神聖術に関しても腕は悪くなさそうだな。むしろ丁寧すぎると感じる位だ。
「大丈夫そうだ、悪いな」
「いえ、非があるのはこちらですから」
治療を受けている間、気配の出所・詳細を探っていたものの新しい事は何一つ分からなかった。
こりゃ夜にでも改めて来る時にでも確認し直せばいい話か。どちらにせよ、今の状態よりも感覚は鋭くなるから分かる事もあるはずだ。人間には違いないんだが・・・自信がなくなってきた。
「ならオレ様はもう行くわ」
「もう行かれるんですか? まだ少しゆっくりされても・・・」
「このまま残ってるとガキ共に絡まれそうなんでな」
正直な話、長い時間いるほど素で襲っちまいそうだ。ガキ共に絡まれそうなのも嘘じゃないけど。
オレ様が苦笑いをして見せるとラグナスも釣られたように笑う。
「では、良かったらまたいらして下さいね。歓迎しますので」
「考えておくよ」
今度会うのは今日の晩だけどな、そっちがオレ様だと判断出来るかどうかは別問題になるだろうが。



その日の夜。闇の中で煌々と光り見下ろす満月が朱色に輝いている。
オレ様は静まった孤児院を空中から見下ろしていた。あと数時間で日付が変わる。
時間が来れば、闇に紛れた今の状態でそっと心の奥に入ればいいだけだ。人の姿の時では流石に阻害された雰囲気はなかったが、建物自体清めていたり結界を施 していたりするのだろうか。張った奴に悟られたくはないのであまり近付かないようにするが、少しでも調べようと思うなら近付かないと分からないし な・・・。
更に寝静まれば侵入しやすくなるだろう。今日は加減が効かなくなる可能性が高いから、多少腹を満たしてきて正解だったかな。
ガチャとドアノブを回す音の後、木が軋む僅かな音が聞き取れた。
「・・・ん?」
そちらに目をやると、ラグナスが外へ出て来た所だった。神父一人が、こんな時間に一人で・・・?
ラグナスはフードを被るとキョロキョロと辺りを見回し、どこかへ駆け足で移動を始めた。
外に出てくれるならオレ様の都合もいいか・・・。このままで行けば外でか、それも悪くない。
見失わない程度に距離を置き、ラグナスの後を追う事にした。
ラグナスを追いかけるのは非常に簡単だった。何せ向こうはただの神父、隠れるように動いているようには見えるがプロではない。

深夜に外出しているからてっきりガキ共が体調を崩して薬を用意しに行くのかと思っていたが、ラグナスの進む方向はリューンの町並みから離れて行くばかりだ。近くの生い茂る森の中へと迷いなく進んでいく。
それにだ、真っ暗で視界が塞がれているだろうに明かり一つ持たずに走り続けていた。人間なら夜目は効かないはずだろ、なのに・・・見えてるのか?
同時に昼感じた気配が強くなっていくのに気付いた。それはじわじわと奥から這い寄ってくる・・・獣臭。もしかして、このおっさん・・・。
「早く、早く・・・っ」
聞こえてくる焦りを帯びたラグナスの声。
「遠くへ・・・あの子達から離れないと・・・!」
・・・間違いない。後は先天か後天か、どちらかだな。
空を見上げる。確かに今日は満月、活発になる日だから人狼達には条件的にも一致するな。
ラグナスが駆け足で辿り着いたのは一つの泉がある、開けた土地だった。泉からはここからでも分かる程に清浄な空気を発している。あまり長居したくない所だな。
ラグナスは止まる事なく、泉の中へ入ろうとしていた。ジャバジャバと水が爆ぜる、二.三歩進んだ辺りで初めて彼は足を止めた。
「う、…ぅ、ぅぅ…」
俯き唸る声が次第に反響していく。森の中がざわめくのが分かる。途端に動物の気配が遠退き、ラグナスから聞こえる唸り声はグルグルと凶悪なそれに変化した。
「ウゥ…ウゥゥ…ッ」
ラグナスの背中が一瞬膨張したようだった。それは膨張のではないのは見ていればすぐに分かる。
白い法衣が紙のようにあっさりと破け、焦げ茶色の体毛が露になった。
一気に強烈な獣臭が放たれると同時にあの柔和な顔が変化を遂げる。あの神父の面影は微塵もない。
いるのは一人の――ワーウルフだった。
「…マジかよ」
確かにワーウルフは魔族とも違う種族だ。だが身元を隠し、神の使徒として普段生活しているというのも妙な話だ。
「…ガルルルルル」
オレ様は人間だろうがワーウルフだろうが気になりはしないが…。ひとまずは精気を貰えりゃいい訳で、まずは一口頂いてみるか?
周囲に同化させていた力を解き、ラグナスの前で実体化する事にした。
「よう、男前な人狼さん」
剥き出しの犬歯。そこから滴る唾液。血走った眼がオレ様をねめつける。
「! …ウゥォゥ…ッ」
更に声を掛けるよりも早く動いたのは向こうだった。
太い腕を振りかざし、攻撃を仕掛けてきた。白閃が眼前に迫る。速度はあるが見切れない程ではない。
会話出来る訳がなかったか。満月の晩は気性が荒くなるんだったな。
「…ミルナ…!」
羽根を広げ夜空へと逃げる。あまりに煩ければ眠らせてやろうかと思ったが、ラグナスは追撃をかける様子もなく、その場に崩れ落ちた。
「ウゥ…ッ、ミルナァ…!」
気性が荒い、ねぇ。てっきり切り刻むまでやめないのかと思ってたんだけどな。
「落ち着けって、悪いようにはしねぇからさ」
「ミルナァァァァァ!!!」
叫んだ瞬間、振動が響いてビリビリと鼓膜が揺さぶられる。思わずオレ様も耳を押さえた。
「…っと」
オレ様の言葉に反応すらしない。
バーサークにしても少しおかしい気がするな、単なる凶暴化なら攻撃してくると思うんだが…。
だが今のコイツは爪を振るっても唯の牽制にしか過ぎない。自我がないにしては妙だな、どこかでまだ意識が残っていると…?
「仕方ねぇな…」
爪の射程外まで離れ、指先をラグナスへと向けた。
ラグナスは泉に沈みその体躯に寄せる波。奴は動かない。
「…とりあえず、おねんねしてな。ワンちゃん」
短く言葉を紡ぐ。不可視の光を帯びた糸を放った。
それらがラグナスの身体を巻き取っていく。抵抗の素振りはあったがそれは僅かな事で、糸を引きちぎる様子もなく包まれていった。
数分も経たずに大人の男よりも大きな繭のようなモニュメントが完成した。
「…さぁて、と」
美しいまでに真っ白な繭の元へ降り立った。
それに触れるとほんのりと冷たくて、ビロードのような手触りだった。指先で表面をなぞると心地よい。
「頂きますか」
本当なら生でやりたかったが今回は夢の中で我慢するか。
どちらにせよ、ご馳走にはなんら変わりない。これから起こる一夜に思わず舌なめずりをした。


「ヒヒヒ、それはアレだネ。ライカンスロープってヤツだヨ」
「ライカンスロープ?」
「そ、ソ! 人狼が体内に持つ細菌が人間の中に入り込むとおよそ24時間後にライカンスロープ化してしまう、人間からすれば奇病だネ」
そう言ってケタケタと笑うのはこのラビリッシュドリーム内での唯一の他種族・イビルトレントの薬師だ。
「24時間以内なら治せるって聞くケドネ、間に合わなかったんだネ。ヒヒヒ」
今は半人半樹の姿をしているが、本来は魔樹の類の魔族だ。瘴気を吸い尽くした樹木が変化した魔界特有の生き物。
名はラピルノ。館内で使う媚薬等の類は全てコイツが作る。左足と腰が樹木、それ以外はかろうじて人の姿を保っている。喋り方に特徴があるのは種族特有だが、コイツも負けていない。
「治す手段はないと?」
「無理無理ィ! 適切な処置をしなかったからネ、一定時間経過しちゃうと菌が人間の組織と馴染んじゃうんダ。それを取り除くなんて魔界内でも存在しないヨ!」
館内の地下にあるラピルノの部屋はゴポゴポと液体の沸き立つ音がいくつも奏でている。
そんなラピルノからの視線を強く感じた。
「それでサ、結局ヤれなかったんデショ」
「精気は吸って来たっつーの」
「でも、吸っただけでヤってないんデショ」
「うるせぇ! 魅了が効かなかったんだよ、だから性器から直接吸っただけだ」
「アララ、あーでもライカンスロープって抵抗力高いって聞くヨネ。仕方ないヨネ」
「…さっきから気に障る言い方しやがるな」
睨み付けるもラピルノは意に介する様子もなく、おどけたように肩を竦めてみせた。
「別に意図なんてないヨ、ヤってもいないのにお腹いっぱいになったのかなって思っただけサ」
「その点なら問題はなかったさ、それでなくても腹いっぱいだってのにこれでヤッてたら…死んでたかもな。割と冗談抜きで」
「ヒヒヒ、夢魔が餓死でも笑えるけど悦死でも面白いネ」
何が奴の笑いのツボに入ったのか腹を抱えて笑い出した。
「あー面白い。人狼って位だし精力もたくさんあったんデショ」
「かもな、折角のオレ様好みの人間だしうっかり死なれるよりはマシだが」
「キャスはサ、好みのこだわりが多過ぎるんだヨ」
「どいつもこいつも変わりねぇだろ、オレ様は性別は関係ないんだぜ?」
「アハハハハハ、いやァー五十歩百歩だヨ!」
笑いが止まる気配もなく爆笑し続ける姿に腹が立って、奴の頭を容赦なくはたいておいた。
「聞く事は聞いた、邪魔したな」
「構いはしないヨ、一つ気になったんだけどサ…キャスはその人狼助けてあげたいと思ったノ?」
…助けたい、ね。正直なところ、そんなつもりはなかった。
ただラグナスの正体はなんだったのか。その詳細が知りたかっただけだ。
「別に? 助けてもオレ様に得はないしな」
「フーン、そんなものなんダ? お気に入りだから人間に戻してやろうとか思ってるんだと思ったヨ」
「元は純粋な人間だと分かっただけで十分だ。くだらない事聞くなよ」
黒い扉を押し開き、ラピルノの部屋を後にした。閉じるまでの合間に聞こえるのは奴の変わらない奇妙な笑い声だけだった。
薄暗い廊下を抜け、徐々に派手な色様へと変わっていく館内を歩きながら少し考える。
あれから夢の中に入り込んで見たのは人の姿のまま暴走したラグナスだった。当然言葉も通用せず、スムーズに事を運ぶ為に相手を魅了させようとした。こうする事で相手の精気を奪いやすくする為だ。
…だが、暴走したラグナスには通用しなかった。ラピルノ曰くライカンスロープは魔法抵抗力が高いとの事だったが。ここで引き下がるのも悔しいから動きを封じて強制的に精気を奪ってやった。
人狼化して体力も底上げされていたのだろう、相手が抵抗をやめる前にこっちが満足し、気がつけば暴走も止まっていた。ラグナスが死んでいない事を確認してから、やつの正体を調べようとひとまず館へと帰ってきた。
…さて、そろそろ動くとするか。それまで何となく考えていた事を本格的に行動に起こしても差し支えもない。

道中何人かの夢魔達とすれ違い、目的の場所であるオーナーの部屋へ到着した。忙しいだろうがほんの数分話せればオレ様にとっては十分だ。
コン、コンとドアをノックする。
「どうぞ、お入りなさい」
返ってくる若い女の声。姿さえ見なければ元の声らしい女の声が聞こえてくる。
「…失礼します」
自分の心を映す人物と対面するのは数は少ないものの緊張する。入る前に一度だけ深呼吸し、オレ様はドアを開けた。
オーナー室はどちらかというと落ち着いた色合いに統一されている。正面の豪奢な机にいるのは…予想はしていた、優しく微笑むラグナスの姿。
「何か御用ですか?」
声まで一緒だ。それが無性にイラついて相手をねめつける。
「それ、制御出来るんだろ? やめちゃくれないか、気分が悪い」
「…」
少し考えた仕草を見せてからラグナスの姿が薄らいでいく。代わりに現れたのは一人の若い魔族の女。一族直系の紫色の長い髪、少し伸びた耳、白いドレス。夢魔とは思えない程清楚な女がさっきと同じように鎮座しこちらを見ていた。少なからずオレ様は見た事がない容姿だった。
「意外と疲れるのよね、…けれど貴方が本当に嫌そうだったし大事な話みたいだからやめてあげる」
「あんたがオーナー、か」
どことなくファムファータ達と面影がある。間違いない。
「私の姿を見せるのは子供達なら貴方が初めてよ、キャス」
そう言うって事はあいつらはこの姿を見た事がないのか。そりゃそうか。普通に考えて好みの人間に見えているのにやめろと言う訳がない。
オレ様だってそうであったはずだし、今まではあそこまでの嫌悪感はなかった。
「それで、どうしたの?」
「本格的に地上へ降りる事に決めたから、それを報告しておこうと思ってな」
「ふーん? それは是非理由が聞きたいわね」
興味を引いたのかオーナーは静かに席を立った。ヒールが鳴らしながら歩みを進めてくる。
「理由なんて簡単な話だ、ここに居たって退屈だから前々から考えてはいた」
「本当にそれだけ?」
「それだけ、と言われるとNOだけどな。気に入った人間も丁度出来たところだし、飢える事もないから都合がいいし」
「…へぇ?」
目の前に立つオーナーは流石にこの館の主だけあって美しかった。好奇心を隠す気配もなく彼女はオレ様の目を覗き込む。夢魔とは思えない透き通った目に吸い込まれそうになるのを堪える。
まるでオレ様の発言が本当なのか見定めているように見えた。
「…嘘ではなさそうね」
ぽつりと至近距離のままオーナーは呟いた。白く細い両手でそっと頬を覆われる。
「地上に降りたら危険も多いわよ、大丈夫?」
驚いた、てっきり二つ返事で『いってらっしゃい』と言われるかと思っていたら、ここまで質問攻めにされるなんて。
「なんだよ、問題ねぇって。ヘマしたら死ぬだけ、そうだろ?」
オレ様はまっすぐに見つめ返す。『魅了の瞳』は効かない、どれだけ強力でも。
僅かに沈黙が続いて、先に口を開いたのは――
「あぁもう、どうして貴方に効かないのかしらね。行かせたくなかったのに…冷たい子」
「同族には全く興味ないから」
「ねぇ、行きたいと思うのは…その人の為、なんて事はない?」
「は…? そこまでは答えられねぇよ、よく分からないし。偉そうな事を言うつもりもない」
下手な理由だったら許可出さないとか言い出す気じゃないだろうな。魅了させようとしていたみたいだったし、出来れば引き止めたそうにしているのはよく分かる。
ラビリッシュドリームに所属している夢魔には最低限のルールがある。地上に降り立つ事は良しとされていないのもルールの一つだ。供給だけならこちらだけでも成り立っているからだ。地上に降りている夢魔は大抵が所属外であり、自分の思うがままに行動する事が出来る。
そしてオレ様の場合。厳密に言えば所属はしていない。だがオーナー直系の子である限り、無関係とも言えない。
「餓死されても困るしね…いいわ、いってらっしゃい。但し、上手くやりなさいね。無駄死になんてやめてよ? 貴方を失うと考えただけで悲しいから」
「心配してるのか?」
意外だったからそのまま言葉としてついて出た。
「馬鹿ねもう」
オーナーに深く抱きしめられた。
こうして抱かれたなんて初めてな気がする。親のような事をされたのも。
「当たり前でしょ、私の大事な半身の一つ。どこに居ても繋がっているんだから…たまには戻ってきなさい、ファム達にも顔を見せてあげてね。それが条件」
「…覚えてたらな」
わざわざ戻ってきてあいつらにも顔を合わせるとか面倒くせぇ。絶対に会わねぇ。
出来れば重要な問題以外では呼ばれたくないもんだな。永遠に呼ばれないのが一番だが、それは恐らく無理だろうし。
しがみつくオーナーの手を振りほどく。
こうして元の姿で動けるのも今回が最後のつもりでいないと本当に無駄死にしそうだ。地上に着いたら魔術師としてしか行動出来なくなるのだろうから。
オーナーの部屋から出る時、彼女と目が合った。少しだけ寂しそうに微笑まれる。どう反応すればいいのか分からずにオレ様は目を反らして誤魔化した。
閉まるドアの隙間から彼女の手を振る姿が、ほんの一瞬だけ見えた気がした。



END