心を縛るその記憶
タイトルは戯曲様よりお借りしました。
ようやく一段落ついた。にしてもよくもまあ、ここまで貯めてたものだな。
冒険者として動き始めたばかり、つまりルーキー自体が夢を抱きすぎてこういった地味な依頼を受けたがらない・・・なんて事もあるんだろうな。
勿論、そんな事のない連中だっている。そう考えている連中は少数だ。
親父さんは本来ならこういう依頼ほど、ルーキーにさせたいと愚痴をこぼしてたっけな。
ここはリューン南部の住宅街。商店の並ぶ通りと比べると閑静な場所だ。上流階級というよりは中流〜庶民辺りの民家が立ち並ぶ。
遠くからは子供達の遊ぶ声が聞こえる。まだ日の明るい内の特徴である。一転して夜は民家からこぼれる明かりが並ぶ、少々幻想的な空間である。
俺達冒険者は一部の例外を除いて、依頼関連でなければ訪れないような場所だ。だから余計、この日常の空気に違和感を感じてしまう。戦いとは無縁の世界。武器を手にする事のない世界。こうして近くに見えるのに果てしなく遠い世界。
憧れた時もあった。この平和な場を。
・・・俺には無理と悟ったのはいつだったか。
穏やかな住宅街を抜け、一本中央部に近い大きな通りを目指す。子供達のはしゃぐ声とは打って変わり、露店などの特有の賑わいが近付いてくる。
そう。最初に無理だと気付いたのは・・・4年前のあの日。
「・・・」
何故今になってこんな事を思い出している? 思い出さなくとも俺の胸には刻まれているというのに。
「あれ、ゼノじゃないのか?」
「・・・え?」
不意に俺を呼ぶ男の声。すぐに分かる。俺を『ゼノ』と呼ぶのは数少ない。
それにこの声は・・忘れる事など許されるはずがない。
顔を向け、そこに立っていたのは長身に黒髪が目の引く男。マスクのように目元だけ肌が色濃い。閉じた両目を見る度に胸が悲鳴を上げるようだった。
「ドレイクか、・・・久しぶり」
「一ヶ月ぶり、かな」
杖を突きながら昔ながらの友人は静かに微笑んだ。
「こうして外で会うのは本当に久しぶりだな、いつもは室内でしか会わないものな」
「確かにな、出歩いて不便はないのか?」
「最近はようやく、ぼんやりとだけど物の把握が出来るようになってきたんだ。だからこうして外を歩いて少しでもこの感覚を磨こうかと思ってさ」
生まれつきとは違う為、いきなり視界を奪われたドレイクは歩く事すらままならなかった。
180度生活が変わってしまったと言ってもいい。俺だって突然視界が闇に覆われれば身動き一つ取れないだろう。こいつはそれが永遠の日常と化している。慣れるまでにどれ程の苦労があったのだろう。どれ程の絶望を抱いていたのだろう。
「おかげで自分の家付近なら歩き回れるようになったよ」
「そうか、良かったよ。歩けるようになって」
あまり言葉は出なかったが本当に安堵した。一番恐れていたのはこのまま出歩けなくなる事だったから。
あの一件から丸一年程、ドレイクは塞ぎ込んでいた時期があった。視界が奪われただけじゃない。それは・・・。
「今日も慣れる為の散歩か?」
「それもある。でも今日はヴェルの墓参りに行こうと思って」
俺の友人であり――ドレイクの姉、ヴェロニカが亡くなったからだ。
歳が近いせいかドレイクはよく『ヴェル』という愛称で呼ぶ事が多かった。
彼女が亡くなったのはドレイクの両目が見えなくなった日と同じ日の夜だった。
「俺は今まで行く事が出来なかったから、今行って元気でやってるって報告しようと思って。そんなに年が離れてる訳でもないのにヴェルは姉貴風吹かせてたから心配してるだろうし」
「そう、だな」
身体は小さかったけれどいつも元気で、明るかった。自分も負けずに迂闊なクセして周囲を心配する事なんてしょっちゅうだった。
気を抜くと当時を嫌でも思い出す。
赤く赤く夜空が燃える。パチパチと爆ぜる火花明るく闇に映えていた。それが病的に美しく感じて、その感覚を覚えた自分が嫌いだった。
赤の中心に二人が包まれて・・・。
今のリューンの通りと過去が重なっていく。立ち眩みがした。
「・・・ゼノ? 大丈夫か?」
ドレイクの声で我に返った。
「ああ、大丈夫・・」
目が合う、というのは見えないドレイクからすれば若干ニュアンスはおかしいかもしれない。けれどドレイクは確かに心配そうな表情を浮かべ、俺を視ていた。
「・・にしても行くのは共同墓地だろ? 家から遠いだろうに・・行けるのか?」
「人に聞いていけば行けるかな、って思ったんだけど。よくよく考えたら・・目の見えない人間に教えるのって大変だよな」
目の利く相手なら方向を指差せばいい。目と耳でその位置を把握出来る。
だがドレイクは片方しか利かないのだ。
「なら案内しようか、俺の気配なら追いやすい・・んだよな?」
「もちろん、それは任せてくれ」
ドレイクの明るい口調が、今の俺には救われた気がした。
four years before――in the
morning
「はい、ゼノ!」
「・・・なんだよ、これ」
あたしが手渡した、綺麗にラッピングされた小箱を見たゼノは訝しげに目を細めた。
それは爽やかな青空の広がる午前の話。
あたしは窓から垣間見える透き通った青を伺いながら、遊びにやって来たゼノにずっと渡そうとしていたプレゼントを渡せた所だったの。
「意味がわかんねぇ、つかこれ何が入ってんだよ」
「えへへ、開けてもいいよー。あたしとドレイク、二人で選んだの」
「そりゃ分かったけど・・・何でプレゼント・・・・・・」
ブツブツ言いつつもゼノはラッピングを剥がしていく。照れ隠しもあってのそういう態度なんだって分かってるから、あたしは何も言わない。
多分ゼノは分からないだろうって、予想も出来ないだろうってドレイクと話してたんだよね。
「あ、ヴェル。もう渡したんだ」
そう思ってたらドレイクがお茶をトレイに乗せてあたし達のいるテーブルまでやってきてた。
「うん、だって早く渡してあげたかったし。それなのにゼノったらひどいのよ! 渡した瞬間すごい顔したんだから」
「だから今開けてるだろ・・・」
「あはは。仕方ないさ、突然渡したらゼノだって驚くよ」
毎日ではないけれど、こうして大事な大事な友達と、家族と、ゆっくりとした時間が過ごせるって幸せ。あたしは大好き。それが例え数十分でも数分だったとしても、同じ時間を共有できるんだもん。
あたし達は生きてる。だから心から楽しく過ごせたっていいと思う。
「気に入ってもらえたらいいな〜」
ゼノは強い人なの。あたしなんかよりはもちろん、あたしよりも大きいドレイクよりもとっても強いの。
あたし達からは想像出来ない位に遠い世界にいた人だったけど、嫌になったんだって。人の卑しい、汚い一面ばかり見てきて疲れたんだって。
物心ついてからずっと暗殺の仕事をして、普通の暮らしに憧れていたって言ってた。でもすぐに無理だって悟ったみたい。だから冒険者をする事にしたんだって。そういう所はクールなんだなって思う。でもね、ゼノはホントはすごく優しい人なんだ。
まだ互いの事を知らない頃のあたし達をタチの悪い奴から助けてくれたんだよ。その時は仕事だからって言って聞かないけど。その結果、お前らが助かっただけだって。
ゼノにとっては些細な事でもあたし達にとっては大きな変化だった。それがゼノと知り合えたきっかけだったし。
少しずつ少しずつ、仲良くなっていけたんだ。最近はあたし達の家にも遊びに来てくれるようになったしね。
「・・・・・・」
小箱を開けたゼノの顔がなんて言うのかな、表現しにくい微妙な表情になってた。・・・何でそんな顔してるわけ?
「どうした? あまり好みじゃなかったか?」
「いや・・・むしろ、これ何?」
表情をそのままにして小箱から取り出す。そんなに大きなものじゃない、小さな金属。中には丸い宝石が埋め込まれているマントを留める装飾品にしてみたの。普通のアクセサリーってきっと付けないだろうと思ったし。
それを手にしてゼノは不思議そうにしてるし。
「それはマントなんかを留める装飾品だよ」
代わりにドレイクが答えてくれた。
「魔よけの石が嵌められてらしくて、お守り位にはなるかなと思って」
「へぇ、でも何でこんな物をわざわざ・・・?」
そのまま貰ってくれたらいいのにぃ。真面目なんだから。
「ほら、あたし達を助けてくれたでしょ? そのお礼。渡したかったけどなかなか機会なかったから」
実は他にも色々あるけど、それを言うと馬鹿らしいって言いそうだから言わないでおくの。
「気にしねぇよ、そんなの。あの時の報酬自体は貰ってたんだし」
やっぱりね、そんな言い出すと思った。
「でも、あの時助けてくれなかったあたし達死んでたんだもの。せめて感謝の気持ちを伝えたかったの」
「分かった、分かったって。これは有り難く受け取っておく」
「よろし〜い」
やれやれとでも言いたそうに、ゼノは肩を竦めて見せた。
それまで付けていたマントの留め具を外すとそれをテーブルの上に置いた。カランと乾いた音が鳴ってる。
見なくても大体の位置って分かるものなのね。付け慣れてるのがよく分かる。
「・・・こんな所か?」
「ちょっとズレてないか?」
「え、ホントに?」
ドレイクが言った通り、留め具からすると僅かにズレている気がする。
「あ、ホントだ。ちょっと待って」
あたしは席を立ってゼノの前まで行く。こちらに向かせて、簡単に位置調整してあげた。
「こんな感じだよね?」
ドレイクにも見せる。全体的に見やって頷いてくれた。
「いいと思うよ」
「ヴェル、お前は俺を勝手に動かすなよ・・・」
ゼノがまた言ってる。あたしは気にせず席へ戻っていった。
「だってゼノ自分で動いてくれないんだも〜ん」
「うるせぇ」
こうして少し離れて見て、留め具が似合ってるのを確認する。
よしよし、一生懸命考えて選んだ甲斐があったかな。ドレイクと目が合う。ドレイクも同じ事を考えてたのかな、同時にクスリと笑ってしまった。
「?」
ゼノだけがあたし達が何故笑っているのか分からないらしく、不思議そうにしてる。
そんなゼノと目が合って、あたしは微笑む。
「あたしね、ゼノと友達になれて良かったって思ってるよ」
・
「着いたぞ、共同墓地」
リューン近郊にあるこの共同墓地はいつも薄ら寒く感じる。
様々な理由で生から離れてしまった者達が眠る、そんな特殊な空間だったからなのだろうか。
「空気が変わったな」
ドレイクの声音も僅かに震えている。寒さからくるものだろうか。
「リューンからは離れているからな。外の冷たい空気が流れ込んでくるせいもあるんだろうさ」
冷たい風に揺られ、細い木々の葉ずカサカサと音を鳴らしていた。
「さ、こっちだ。この辺りから足元には気をつけろよ」
「ありがとう、そうするよ」
ドレイクに声を掛けてから、俺は先程よりもゆっくり歩き出す事にした。
リューンの共同墓地だけあって、その広さは尋常じゃない。
いくつもの墓石の列を抜け、途中黒いローブを羽織る墓守に一礼する。
深くローブを被った墓守の表情はどこか憂えていた。白い髪が風になびき、透き通る声で唄を口ずさんでいた。通り抜ける瞬間、向こうも小さく一礼を返してくれたのが見えた。
やや中心という辺りまで来て俺は立ち止まった。この辺りの列にあるはずだ。
見覚えのない墓石の名前を何度目か過ぎた後、該当する名前に行き着く。墓石に刻まれた『ヴェロニカ・フィルオーソ』の文字。
僅か24年で人生を終えてしまった、俺の友人。
「着いた。ドレイク、ここだよ」
ドレイクに呼び掛ける。墓石の前まで来ると、正面にドレイクの身体を向ける。
確認をする為にドレイクは背を屈め、手を伸ばし彫られた名前を指でなぞっていった。
「・・・本当だ。ありがとな、助かったよ」
「いや・・・」
ドレイクは背筋を伸ばすとヴェルの為に持ってきていた供物を静かに置いた。そして祈りを捧げ始める。
俺はただその後ろ姿を眺めているだけだった。ぼんやりと、元気だったヴェルと最期の姿が交互に映し出されて、息が苦しくなる。思わず墓から目を背けた。
俺はあれから彼女に祈りを捧げる事が出来なかった。きっかけを作って死なせた自分に祈る事が許されるのだろうかと考えてしまう。この場に訪れても謝罪の言葉しか浮かんでこない。
「なぁ・・・ゼノ」
声を掛けられたのはドレイクが祈り始めてから数分経過してからだ。
「・・・なんだ?」
「俺はずっと・・・後悔してきた事がある」
ドレイクが顔を上げたのが見える。おそらくヴェルの墓を『視て』いるのだろう。
・・・言葉の続きを聞きたくない、自分がいる。
「あの日、生き残ったのが俺じゃなくてヴェルだったら・・・って」
「―――ッ」
耳を疑いたくなった。ドレイクなら考えていたとしてもおかしい話だとは思わない。・・・でも。
「俺がヴェルの身代わりになれれば良かったんだ」
そんな事聞きたくない。頭が割れそうに痛い。俺は頭を抱えた。
「本来ならヴェルを守ってやらなきゃいけなかったのに・・・」
「もういい・・・!」
酷い耳鳴りがする。立っていらなくなってその場に膝をついていた。
「やめろ!!」
止めようとして想像以上に大きな声が出た。心臓が激しく鼓動を繰り返している。
これ以上気を緩めたら意識を手放しそうだと片隅で考えた。同時に石畳が眼前に広がった。
four years before−in the
night
まさか、こんな物を貰うとは思ってなかった。俺は何気なくした事だったけど、ここまでしてくれるなんて想像にはなかったから。
気にしなくてもいい、と言ったのは本当。あとは普通に嬉しかった。
でも言い出すのが気恥ずかしくてあんな言い方になってしまったけど・・・。もう少し、素直になれば良かったかな。
暗殺者をやめて、ようやく友人と呼べる相手に出会えた。それをもっと喜ぶべきなのに。
同じ日に二度も足を運ぶ事になるなんて、思わなかった。けれど悪い感情じゃない、せめて日が変わらない内にちゃんと言おうと思ったのだ。
すっかり日は暮れている。真っ暗に変わった夜空がリューンを包んでいた。
そろそろあいつらの家に着く頃だろうか。
・・・でも、どこか騒がしい。どういう事だ?
「火事だ!」
火事・・・? 乾燥した時期でもないのに・・・?
慌てて走っていく野次馬達。何故だか嫌な予感がした。はっきりとは分からない、漠然とはしているけれど確かな靄が覆っていく
早く二人の無事を確認したい。
同じ方向へ向かう野次馬達を追い抜いて、二人の家へと走る。
近付けば近付く程、夜空に滲む赤が色味を増してくる。コントラストがはっきりとしてくる頃には火の匂いも漂ってきていた。
疑念は消えない。消えるどころか増していく一方だった。
・・・頼む、頼むから・・・。
無事でいて欲しい・・・。
細い通りに入る。更に人がいて、ざわめきが広がっている。中には火の手から逃げ出している者もいるんだろう。
「出て来てないみたいで・・・!」
「逃げ遅れているのか?!」
ざわめきの合間で漏れる声。火事になった家からはまだ住人が脱出していないのか・・・?
奥では明るい火が燃え上がっている。
「どっちも出て来てないのか!?」
「誰か! ヴェロニカとドレイク見てないか!?」
どうして、どうして・・・。何故あの二人が・・・!
中にいるのならば、早く助け出さないと!
「どいてくれ!」
前に立つ者を押し退け、火が立ち上る二人の家の前へとやってきた。
轟々と、熱気を揺らめかせて赤々と燃え広がる二人の家。
二人が一体、何をした・・・?
意識が遠くなって野次馬の声など聞こえない。早く、二人を・・・!
「ドレイク! ヴェル!」
燃え盛る火が支配する仲に呼び掛けても、きっと中には聞こえていない。突入しようとドアを壊そうとした矢先、軋むドアが開いた。
「――!?」
ぐらりと何者かが倒れ込んでくる。すかさず受け止めた。
「う・・・ぁ、あぁあ・・・!!」
熱気を帯びて出て来たのはドレイクだった。怪我はしているようだが、生きてる。
「ドレイク! 中にヴェルは!? いるのか!?」
とりあえずはドレイクをどこか安全な位置まで下がらせないと・・・。ドレイクを抱えて後ろへと下がる。
ざわめきの中で自警団はまだかと声を上げている奴がいる。―そうだ、俺が冷静でいないでどうする。そうしなければ助けられる者だった・・・助けられない。
「怪我人がいる!治療出来る者も呼んでくれ!」
周りにそう叫んで、ドレイクを地面に横たわらせた。詳しく診ていないから何とも言えないが、まず目元辺りが酷い。ただれている所からすると火傷だろうか。
「ヴェ・・・ル・・・」
「え・・・?ヴェルがどうした・・・? 中にいるのか・・・?」
「ヴェルが・・・っ」
ドレイクはそれしか言わない。後は繰り返しながら呻くだけ。・・・この様子じゃヴェルは中にいる。
「悪い、こいつを――」
最後まで言った、つもりだった。だがその声は届かなかった。すぐ横で家が崩れ落ちる、大きな音がしたからだ。
「――!!」
大きな音に皆が静まり返った。俺もただ呆然と、燃える瓦礫と化した二人の家を見やるしかなかった。
まだ、・・・まだあの中にはヴェルがいるというのに・・・!
「・・・ヒヒァ!!」
突如聞こえる、引き攣るような笑い。あまりの異質さに寒気が走る。・・・今の今まで気付かなかった。
「燃えた燃えたァ・・・ひひ」
その声はごく近い所から聞こえていた。俺達がいる所には細い路地がいくつかある、そこから聞こえている気がする。
・・・いや、明確な殺意がこちらに向けられている。俺・・・?
「二人共死んだ? イヒヒ・・・死んでででないないない」
殺意と一緒に駆けて来る気配がある。
いつもの得物は持って来ていない。あるのは万が一、使うかもしれないと腰に下げてある剣だけ。
俺は躊躇いなく剣を引き抜き、気配と対峙した。
そいつは痩躯な男だった。男は剣を構え、こちらに飛び掛かってくる。・・・その顔に見覚えがあった。
俺が暗殺者をしていた頃に・・・。
「燃えて死なないならぁ・・・刺して殺せばいい・・・ひひひ!」
コイツが家に火を・・・。なら狙いは俺ではなく、ドレイクか!
だが助かる事にこいつには大きな隙がある。同じ暗殺者だと思ったが薬でも使っているような興奮状態だ。
ドレイクを殺させる訳にはいかない。まだヴェルだって助けていないのに・・・!
相手の持つ剣を上手く弾き、避ける体勢を取れていない内に腹部へ蹴りを入れた。男は軽く、ドレイクから離れさせる事に成功した。
思わぬ乱入者に周りも戸惑っているようだが、それどころではない。吹っ飛び地面に転がっている男の所へ行き、取り押さえる。
「いてぇ、いてぇよ・・・!」
「お前か・・・、あの家を燃やしたのは・・・」
「ひひひ・・・ぜぇんぶ燃やした、刺したぁ・・・」
刺した・・・?
ドレイクに刺し傷らしいものはなかったはず。服も血に滲んでいる様子もなかった・・・。
まさか・・・刺したのは・・・。
「ひひひ、ヒヒヒ! あいつらが死んだら死神はどんな顔するんだろうなぁ・・・ひひ・・・!」
――そう、いう事か。
何故二人を狙ったのだろうとは思っていた。この男と二人の接点なんてないと思っていたし。
俺が二人と親しくしていたから、俺と親しくしていたばかりに・・・狙われたのか。
その男への激しい憎悪や怒りよりも、自分の思慮のなさに吐き気がする程の絶望感が勝っていた。
・
オレ達が要領の得ない慌てた男性から火事があったと聞き、連れて行かれたその現場は奇妙な状況だった。
本来の仕事は傭兵なんだが、こうした急な事故では仕方がないだろうと腹はくくっていた。
崩れ落ちている中でも燃えている炎。混乱している近隣の住人。崩れた家の向かい側では誰かが殴り続けている。自警団も到着していないのか、まるで収拾がついていない。
「どうします?」
「・・・メリエルは魔術で火をどうにか鎮火を、ハリュートはあの人達を下がらせてくれ。エイシャはメリエルのサポートに回れ。以上だ」
団員に指示を出してからオレは家に対面する方へ向かう。明らかに火事にあった家の者らしき倒れている若い男、薄ら笑いを浮かべている痩せた男、その男を凍りついた表情で殴る若い男。
「おい、あんた。そいつは一体・・・」
側まで行くと更に異質だった。若い男は涙を流したまま殴り続けていたのだから。
声を掛けた所で止まる気配すらない。このまま殴らせている訳にもいかず、更に殴ろうと振り上げた血に塗れた拳を掴んだ。
「おい! いい加減にしろ、そいつ死ぬぞ!」
「――! 誰だ、あんたは」
赤と青のオッドアイを持ったそいつと目が合う。生気の薄い、何もかもが抜け落ちたような冷たい表情。感情のないその顔はまるで人形のようだった。
「邪魔をするな、こいつは・・・」
「家を焼いた、犯人・・・か?」
吐き捨てる声が温度を持たない。・・・おそらく未だに笑い続けるこの男を殺す事すら躊躇わないのだろうと瞬時に感じ取った。
あの様子じゃ薬漬けにでもなっているのだろう。かすかな異臭と状態で予想はつく。こいつに話を聞いて欲しい情報を得られるのかも怪しい。
「こいつは・・・」
だが、こっちの男も随分と錯乱している。この家の知人なのだろうか?
無意識のまま、夢遊病者のようにふわふわと焦点が定まっていない。このまま止めなければ何をしだすかわからないという意味では、このオッドアイの男の方が危険かもしれない。
「・・・そうだ、こいつが二人の家を燃やして・・・」
虚ろな目が周囲を彷徨う。
「刺した・・・! 俺の、せいで・・・」
・・・やはり犯人か。なら刺した、という発言も気になる。倒れている男が刺されているなら早く応急処置でもしないと。
気になる事は言っているが、それは後回しにした方がいい。
「分かった、もうそいつは殴らなくていい。どちらにせよ、逃げられないだろうしな。その様子じゃ」
「・・・・・・」
「助かった人は? そっちの彼か?」
オッドアイの男は小さく頷くだけだった。
殴ろうという意識はなさそうだったのでオレは掴んでいた男の拳を離した。
殴るのをやめてくれたのはいいが、今度はすっかり大人しくなってしまっている。・・・その静けさが少し怖い気がした。
知り合い、というよりは友人・・・の方が近いのかな。二人の家と言っていた事から、まだ一人残っている・・・んだろうか。
もう一人の男の所へ向かう。全体的な火傷は負っているようだ。だがそれよりも何より、鼻から目元までの火傷が酷い。黒髪の男はぐったりとしていて意識がない。このままでは持たないかもしれない。
その場にしゃがみ込んで手をかざす。一瞬、祈りに集中し手元から柔らかな光がこぼれ落ちた。発動は問題なく成功した。後は鎮火を終えたメリエルがこちらに来ればもう少しマシな治療が出来るんだが。
「団長、自警団がやっとご到着したようです」
やってきたのはハリュートだ。野次馬達から何か話でも聞いたのか口にした言葉には毒が込められていた。
「なら丁度いいさ。そこでヘラヘラしている男、犯人らしい。連れて行ってくれ」
「分かりました。・・・こっちの男は?」
オッドアイの男の事、だろうな。
「そっとしておいてやれ。被害に合った家の知人なんだろうさ」
「・・・そうですか」
これで殴り殺される事はなくなる。自警団が詳細を聞き出せるかは分からないが。
「あと無事・・・とも言い難いが、生存している者がいる事も伝えてくれ」
「分かっています。それと、家の中に一人逃げ遅れている可能性がある女性がいるようです」
「・・・分かった、ありがとな」
「いえ、では自分はこれで」
随分と遅かったみたいだな。別に自警団が悪い訳でもないんだろうけど、こういう時に理不尽な恨みを買ってしまう事もある。傭兵家業だって似たようなもんだ。
ハリュートが薄ら笑いを浮かべたままの男を引きずって連れて行くのを視界の片隅で確認する。
・・・逃げ遅れた可能性のある、か。二人の家と言っていたし、その女性がそうなんだろう。が、『刺した』とも言っていた。オッドアイの男があんな様子なのもそれが原因か・・・?
「・・・なぁ、そこのあんた。そこでぼんやりとしている場合か?」
「・・・・・・」
「さっき言ってたのは聞こえたか? こっちの男も容態はすこぶる危ない。少しでも助けたいと思ってるんなら手伝ってくれないか」
「・・・・・・何を、すればいい」
少し、言葉の端に感情の揺れがあった気がする。
「治癒出来る人は呼んでもらってるのか?」
「あぁ・・・まだ来ていないみたい、だけどな」
なんだ・・・? 何か違和感がある。
まだこちらの男は死んではいない。助かる可能性だって残っている。それなのに、全てが終わったかのような表情は・・・。
「あんたは使えないのか?」
「・・・使えるならとっくにやってる」
「そりゃそうだな」
コイツを黙らせてはいけない気がした。あれほどの錯乱状態だったのに何を考えているのか全く読めない。
「さっき、あんたがぶん殴ってた男。犯人だって言ってたよな、詳細を教えてくれないか?」
「・・・・・・」
数分だろうか。沈黙が続く。嫌な事を思い出すからか?
「俺が、二人の家に・・・行こうとしたら、騒いでて、・・・・・・」
口を開いてくれたのはいいが、また目の焦点が定まっていない。少しでも戻しておかないと・・・何故自分でもそう思うのかは分からない。だが俺はこういう時の自分の直感は信じる事にしている。
「それで?」
「着いたら、家に、火が・・・きっと家にいると、思って・・・助けようとしたら、ドレイクが・・・・・・」
ドレイクというのは彼の事か。傷は治癒されてるだろうがここから先は出来れば医者がいい。
「・・・続けて」
「・・・ヴェルを助けようとしたら、家が・・・崩れ落ちた。ガラガラと音を立てて、あの中にいるって・・・言ってたのに・・・!」
ガタガタと身体を震わせた。突如起こった事による動揺・・・?
男はうずめる頭を抱えた。
「俺が・・・俺のせいで・・・っ」
激しい後悔の念と懺悔の念が入り混じる、振り絞った声。そりゃ家が突然崩れたらさぞかし驚くだろう。
・・・本人も薄々気づいているんだろう。もし刺されていて、尚且つ火事から家が倒壊したのならば助かる可能性はとても低いのだと。
だが今はそれを指摘する時じゃない。
「今、火を鎮めてるから・・・もうすぐ注意しながらだったら探す事が出来るはず。探すなら気をつけて探せよ」
「・・・・・・」
早く終わるといいんだが・・・。
「・・・すまない、気を使わせた」
我に返ったのだろうか。はっきりとした喋り方になった。表情は硬いままだが、さっきよりは随分マシだ。
「気にするな、こんな事態だ。動揺しない方がおかしい」
「・・・・・・、そうだな」
「俺はジラルドだ、・・・あんたは?」
「・・・ガヴァナー」
ガヴァナーと名乗ったオッドアイの男の声は小さかった。
・
意識が覚醒した時にまず感じたのは、石畳の冷たさ。
視界がぼんやりする。・・・その先に誰かがいる。誰だろう。
「ゼノ・・・?」
この声は・・・、ドレイクか。
倒れるまであんなに酷かった頭痛は薄らいでいた。まだ根っこの方で疼いているが大分マシだった。
「・・・どのくらい倒れていた?」
「10分くらい、かな」
「そっか」
頭を押さえて身体を起こす。ドレイクは隣で座り込んでいた。
空は奥の方でオレンジ色に染まりかけている。
「・・・悪い、びっくりさせて」
「いや、オレこそすまない」
ドレイクは俯いている。その姿が落ち込んでいた時と重なって、俺は肩に手を置いた。
「ドレイクは謝らなくていい。・・・俺がまだ、割り切れていないんだ」
言える訳がない。
あれは事故なんかじゃないと。運が悪かったで済む問題ではないのだから。
ドレイクが嘆いて自分に非があると悩まなくていいんだ。非があるのは俺。
「あの話・・・だけど、今はもう考えてないから」
「あぁ」
「オレも残っているけど、ゼノも・・・残ってるんだな」
少し考えれば分かる、いや分かってなきゃいけなかったんだ。懺悔と後悔だけが今も尚、根強く入り混じる。
「・・・消えないよ、何があっても・・・消しちゃ、いけない」
ドレイクから目を奪ったのも、ヴェルを死なせてしまったのも昔の俺が元。俺が直接手を下さなくとも、きっかけが俺であった事は事実なんだ。
「でもな、ドレイクだけでも助かってくれて、命を繋いでくれて本当に良かったと思ってる」
それだけは嘘偽りのない、心からの答えだ。
ドレイクが言っていたように、これがドレイクが死んで、ヴェルが生き残っていたとしても変わらない。どちらも生き残っていなければ意味がないんだ。
「二人共生きていてくれたら、と思う事がある。夢見がちだろう? ・・・全く」
後半はぼやきに近かった。独り言のように溜め息をこぼした。
「ゼノ・・・」
俺はゆっくりと立ち上がった。まだ立ち眩みはするものの、ずっと座り続けている訳にもいかない。
側に転がる杖を拾い、ドレイクの肩を軽く叩いて立つように合図を送る。
正直・・・口にするのが怖い。自分の落ち度だとドレイクに言ったとして、どんな反応が返ってくるのか。
「なぁ・・・ゼノ。何か言いたい事、あるんじゃないのか?」
不思議そうに尋ねるドレイクの声。
分かる、のかな。やっぱり。表情が見えなくたって、俺が何を思っているのか。
口にしたら・・・折角一人で散歩出来るくらいに状態が良くなったのに、また悪化させてしまいそうで・・・それも怖い。
「・・・何でもない。心配かけさせて悪いな」
「それくらいはお互い様だろ? 気にするなよ」
そう言ってドレイクは微笑んだ。・・・言わない方が良い事もあるのだと、自分に言い聞かせる事にした。
「そういやさ」
ヴェルの墓前で少し話をして、これ以上は身体に障るから帰ろうとしていた時だ。
思い出したようにドレイクは口を開いた。
「ゼノも冒険者の中でも有名になったんだよな」
「・・・なんだよ、いきなり」
不意の内容に俺は言葉を失った。
「話を聞く事が多いからさ、・・・と言っても噂話程度だけど。お前のいる宿って俺のいる区域じゃないからさ。それなのに話を聞けるって凄いなって」
「・・・まぁ、そうなのかな?」
「だってローゼントライムってお前のいるパーティだろ?」
正直意外だった。ルーキーのつもりもなかったが、そこまで長いつもりもなかったからだ。
「・・・そうだけど、俺お前に話した事なかったよな」
「ああ、詳しく聞いた事はなかったかな」
俺のいる宿は俺達以上に目立つパーティがいる。いい意味でも悪い意味でも、どう動いても目立つパーティが。だから然程話題に上がる事はないと思ったんだが、そうでもなかったらしい。
「って事は当たってるのか」
「当たってるも何も、驚いたよ」
「皆、良い人か?」
どうしてこのタイミングでそんな事を、なんて思わなくもない。
コツコツと杖を突く度に小気味よく鳴った。
「なんでまた、そんな事を?」
「ゼノはスカウトされて入ったって聞いたし、いくら冒険者とはいえ団体行動だろ? あと美人が多いとも聞いた」
「美人はまぁ多い・・・と言っても二人は子供だが、でも良い事なんて特にないぞ。下手に気を使うだけだ」
アポクリファは・・・子供じゃないんだっけか。見た目があれだから子供だと思いがちだけど。
「そんなものなのか。・・・ん? じゃあ、何で話に乗ったんだ?」
・・・そう、言われると少し悩む。何故だろう。たまたまあの宿に世話になっていて、今のリーダーに誘われて、パーティを作るきっかけになったセリカの話を聞いて。セリカ本人から話を聞いた事もあったか。
聞いた限り、彼女には不思議な希望が溢れているように見えたから。闇に染まりきった俺でも彼女が見る未来を支えてやれる事が出来るだろうかと。試したくなった。
「何でだろうな? あのパーティには入りたいと思わせる何かがあるんだと思う」
敢えて詳細は口にしなかった。気恥ずかしさもある、そして元を辿れば4年前に繋がってしまうのだ。
「何か・・・か。なら居心地は良さそうかな」
「居心地か、どうだろうな。とりあえず相手が足を引っ張らないか、話し合いで妥協が出来るのかそれさえ分かってればやっていけるものだよ」
「そういうもん、なのかね。そういった所から友人関係になったりしないのか?」
「少なからず、俺はないよ」
そうしてまた矛盾を抱える。興味と恐怖。あの5人は確かに頼りにはなる存在であるのは間違いない。けれど友人と呼べる関係かどうかは別だ。
墓地の出入口が見えてきた。殺風景な景色の先に見える華やかな都市。
ドレイクと並んで戻っていたから自然に歩く速度は遅くなる。ようやく見えてきたみたいだ。
「そうだ、今日の朝な。ローディスバウアーさんに会ったよ」
・・・親父か。俺もなかなか会う機会は少ないが、もしかしてドレイクの家に足を運んでるのか?
「まさか会いに来たのか?」
「いや、朝の買い物に出た時に声を掛けられて」
偶然か。たまに帰って来ているらしいけど。どんなタイミングで会うのやら、分からないものだ。
「気配がゼノと似ていたし、あれと思ったよ。声も覚えていたけど・・・まさか声を掛けて貰えるとは思ってなかった。まともに話したのそんなに多くないから緊張したよ」
「あの人は知り合い以外には声を掛けようとしない人だからな」
「荷物とか持って貰ったんだけど、すごく優しい人だよな」
あの人も言葉は多くない。けれど真っ直ぐとした言葉をぶつけてくる。本当に人間じゃないのかと思ってしまうくらいに。
「じゃあゼノは会ってないんだな」
「ああ、でも・・・きっとあの人から俺に会いに来る事はないと思う」
「入りにくかったりするのかな」
「・・・恐らくな」
あの人は静かな空間が好きだ。だから賑やかな所へ進んで行く姿は想像しづらい。
「お前の事も心配していたようだったよ。最近どうしているのかって」
「・・・どこへ行くとか聞いてないか?」
「いつもの所、とは聞いたけど・・・あ、確か静蘭泊って言ってたような」
静蘭泊、か。高級酒場の一つだったな。・・・あんな所にいるのか、あの人。普段なら足を運ぶ機会はないが・・・あの人がいるなら一度は行ってみるか。
「会いに行くのか・・・?」
「・・・あぁ、会えればの話だけどな」
four years before−in the
night Veronica side
轟々とあたしと家を包む業火。どこを見回しても見えるのは真っ赤な炎だけ。
身体はお腹を刺されて、痛くて動けない。あたしは既に床に倒れていた。
・・・ドレイクは外へ逃げられたかな?
「ゴホッ、ゴホッ」
変な男が突然侵入してきて、それを咎めようとしたら急にお腹が熱くなってきた。その男はよく分からない事を言いながら油を撒き散らして、それをドレイクにも掛けたんだ。そして止められず、ドレイクに火をぶつけた。
・・・おかげでドレイクは刺されなかったけれど。そういうしている内に今度は家に火をつけていった。あっという間に燃え上がり、変な男はいなくなってた。
あたしは自分の傷がどれだけ深いのか分かっちゃったから、ドレイクを何とか先に逃がす事にした。けど、それで無理をしたから足がふらふらして・・・もうロクに動けなくなっちゃってた。
「・・・ゲホ!!」
上手く呼吸が出来ない。パチパチと鳴る火花が悔しいけど、見ていてちょっとだけ綺麗だった。
あの男は何だったんだろう・・・ドレイクは無事かな。ゼノは・・・何て言うのかな。悲しんでくれるかな・・・? ドジだって笑われちゃうのかな。
あはは・・・でも、これじゃ言い返せないな。
「・・・うぅ・・・っ」
こんなに炎に包まれているのに寒い。全身が寒い。足先なんて凍えてしまいそう。
ダメな炎だなぁ、折角そんなに燃えてるんだから暖めてよね。あたし寒いんだから・・・。
二人共、驚くよね。ゼノ・・・ごめん、もう会えなくなっちゃった。ドレイクも最期まで頼りないお姉さんでごめんね、あたし・・・もう一緒に居られないや・・・。
・・・ワガママ言えるなら、もう少しだけ一緒に過ごしたかったな・・・。
涙が止まらない。なんでだろう・・・煙のせいかな。
・・・嘘。悲しいんだ。死にたくない。あたし・・・もっと生きていたかったよ。
生きて・・・生きて・・・。
――天井が、近付いてくるのが見えた。
END
|